平穏

連日、夫婦で息子を外に連れ出して遊ばせ、皆で買い物をし、オムツを変え、離乳食を食べさせ、遊び相手をし、息子を脇のベビーチェアに座らせて夫婦で鍋を突つく。


健康に生まれ、今のところ医者にかかることもなく、外に出かければ道行く御老人方に可愛がってもらい、気難しい所もなく、比較的ニコニコと愛想良くしている息子。


平穏で良いね、と嫁がもらした。派手な行事や祝い事があるわけではないがこれが平穏な幸せというやつなんだろう。こんな日々をこれからも老後も過ごしていきたいものだ。


しかし平穏な生活それ自体を目標にしてしまうと平穏な日々は続かないのではなかろうか。常日頃にあくせくと働き蓄えているからこそ、その合間に平穏を得られる。恒常的にのんびりとした日々を過ごすと仕事での経験はさほど積まれず、実務スキルも伸びず、必要な人材市場での競争力は無くなり、蓄えることも難しくなり、これまでの蓄えも食いつぶされていく。


セブンアンドアイホールディングスがイトーヨーカ堂のパート社員比率を90%まで高め、正社員を半減させるという改革を打ち出した。他の百貨店は様子見の段階だが、イトーヨーカ堂が上手く操業できたら他社も追随するだろう。製造業ではどこも派遣や請負の比率は高まるばかり。自民党への政権交代TPP参加議論の再燃なんかを耳にする限り、引き続き世の中は収入格差が広がる方向に動いているのは明らか。馬鹿をやって道を踏み外すと、極端に経済的に転落するような仕組みになりつつある気がする。


平穏で心安らかな日々を過ごしていること自体が何やら世相や情勢と乖離しており、時勢に対応できていないことを示唆する危険信号なのではないかと時折、感じてしまう。


性分が怠け者なのは自覚している。ルーマニアで働いたり、フィリピンで働くことも含め、困難そうな道を選んでおけば否が応でも苦労せざるをえず、そう悪いようにはならないと思ってこれまで進路の意思決定をしてきた。それでそれなりに悪いようにはならずにやってこれた。しかしここにきて最近はどうも平穏で楽な方を選んでしまっているのではないかと危惧している。何せ、平穏な日々なものだから。気を引きしめんとな。人の親になってしまったのだし。