息子に忘れられる

7月に2週間ぶりにドイツ・スイス・フランス・東京出張から帰ってきた際に息子に泣かれた。忘れられていたらしい。また絆を取り戻したつもりではいるが、今日から再度2週間京都に出張せねばならないのでまた忘れられてしまうかもしれない。



心の内はまるでHiedelbergの廃城のエンブレムの顔。


幼児にとっての父親とは何なのだろう。嫁の補助どまりかね。息子は初対面の人には最初の数十分ほど人見知りして泣く。しかしその後は愛想が良く、慣れればケラケラと笑うし笑いかける。泣いても泣き止むのも早いし笑顔を振りまくので保育所では人気者なんだそうだ。


そんな息子にとって父親はどう認識されているのだろう。単に人見知りして泣くことは無くなっただけの頻繁に会うおっさんではなかろうな。それ以上の価値があるというWikipediaの説明書きを信じている。


以下Wikipediaより引用
乳児期に子供が愛着の関係を樹立する相手は、母親に限らない。たいていの乳児は、母親にも父親にも愛着を示す[2]。子供が愛着を示す相手は、独立で同等である[8]。「安心の愛着」を樹立した子供は、その後の発達のテストにおいて高得点を取る。乳児期に確立された愛着の効果は長く続く。
父親が、子どもの出生直後から子どもに充分に支持的に関与すると、子どもに良い影響を与え、生後7ヶ月の時点や生後3歳の時点で、子どもの言語発達はより良好となり、子どもはより高い知能指数IQを持つようになる[9]。