2014年を振り返る

6月の上旬に楽しみにしていた沖縄旅行があったのだがその数日前に二人目を身籠っていた妻が不正出血し、緊急入院する事態となった。それからかれこれ4ヶ月入院することになった。


沖縄に着いてから入院したら沖縄と東京の往復生活になり、費用もとんでもないことになるところだったので、沖縄に行けなかったのは不幸中の幸いだ。


妻はリスク妊婦に囲まれた相部屋の病室で過ごすことになった。未熟児で生まれてICUに入らないといけない妊婦さんや、妊娠中毒症が重く体調の悪い妊婦さんの医者との会話などが聞きたくなくても聞こえてきてしまう生活は不安でしんどかったそうだ。かといって妊婦同士で仲良くなるのもしんどい。単なる健康な妊婦の病室ではないのだから。


息子は生まれてから一晩も母と離れたことがなく、だから母と引き離された状況を理解できずにいた。実家に連れて行ったがそこでワガママも癇癪も起こさず、健気にいい子に振舞っているのがわかった。とある週末に病院にお見舞いに連れて行った際に、妻が何を話しかけても息子が無視して視線すら合わせてくれなかったのには私も打ちのめされた。それ以上に妻は傷付いただろう。なんで辛い入院生活を送る妻にさらに辛くなるような苛酷な態度をとるのか少し息子に怒りを覚えた。2歳の子供にとっての母への愛情なんてものはほかに食べさして面倒を見てくれる人がいれば数週間で忘れるほどのものかと淋しくも思った。しかし病院からそろそろ出なければならないという段になって、それまで視線も合わせずに無視し続けていた息子が突如妻にしがみついて叫ぶように泣き出した。ずっと妻にしがみきたいぐらい寂しいのに、やせ我慢して妻に対して怒りの抗議をしていたことが初めてわかった。


そんなこともありながら土曜日の朝に息子を連れて埼玉の実家から高速道路を走らせ神奈川の病院にいる妻を見舞い、神奈川の家に泊まって翌日再び病院で妻を見舞ってから埼玉に帰る生活がほぼ4ヶ月続いた。


実家の両親も全面的にバックアップしてくれた。できる限り息子が寂しくないように、バランスのとれた健康的な食事を作ってくれ、散歩に連れて行ったり、遊んでくれたりと仕事で不在な間に面倒を見てくれた。ひと夏の間、愛情たっぷりに育ててくれた。


私の前ではだっこするのも躊躇っていた父を息子はジィジ、ジィジと追いかけ回すので私がいない間は恥ずかしいぐらいに可愛がっていたのかもしれない。


週末は朝から晩まで食事の用意からオムツの取り替えから風呂から着替えから寝付かせまで息子の面倒を見た。単なる妻の手伝いではなく、いざとなれば自分だけで息子の面倒を見る自信が得られた。


無事に次男が産まれて健やかに育ってくれている今になって振り返ると、夏の離れ離れの生活は大事なことを学ばせてくれた。妻がいること、息子がいること、みんなで暮らせることが当たり前だけれどもとても幸せで恵まれていることなのだ。