映画「君の名は。」

 

アラフォーに差し掛かる友人知人の高い評判を聞いてアニメ映画「君の名は。」を観た。世の中には素晴らしいものがまだまだ沢山あるもんだな。新海誠監督のような存在がいることが有難い。

 
素晴らしいものを享受する側、消費する側にいて、産み出す側に立てていないことが少し悔しい。その一方で、この映画を観て、冷めて俯瞰するのではなく世界観に入り込んで感動できた自分にまだ希望というか救いがあると感じた。
 
細井守さんの「おおかみこどもの雨と雪」など細井守作品は総じて透明感はあるが淡くもある。それに比べて新海誠作品は感情の高まりと放出、疾走感を強く感じる。
 
大切な人を大切に思うこと。大切に扱うこと。
将来に夢と不安と期待を持つこと。
前向きな衝動に駆られて動くこと。
ワクワクを恥じずに持つこと。
 
それにしても風景描写が美しい。住んだこともないのに神社や石段から眺め下ろす街並みや広縁から差す朝陽やガラス小窓のついた木製引戸やなんやかや。飛騨の糸守町の光景は私の好きな要素と郷愁が詰まっている。
 
松の絵が描かれた襖絵が数枚遠近的に並び連なった宮水家の居間の光景が好きだ。
 
坂道に建つ精肉店の擬洋風建築の光景が好きだ。
 
御神体のあるクレーター底の祠は言わずもがな。
 
監督曰く、若い観客の多くは自分の好みが定まっていない。何が好きなのか分かっていないからこそ、その材料を提供するような作品にしたいと思い、詰込み気味にしたそうな。楽しみ方はそれぞれでいい。音楽に感動してくれた人がバンドを始めたり、背景に感動してくれた人が画を描き始めてくれたり、そんな触媒としての効用は30代にも40代にも効いた気がする。
 
テンポが早く、勢いと音楽で最後まで持っていかれる。心は動かされながらも、完全に消化理解しきれない情報量だからまた観たいと思わせる。あの場面をまた確認したい。あのセリフをもう一度聞きたい。消化不良でがっかりするのではなく、好意的に好奇心を煽る。実際に一ヶ月の間に2回目を観に行った人も多いのだそうだ。
 
作家性を捨てただの、大衆に受けるベタに徹しただの、やっかみのような業界人論評も見受けるけど、これだけたくさんの若い人々を魅了し、少なからず影響を与えているのだ。そして触媒として多くの人の中に意識、無意識問わずに何かを引き起こせたら。相手に届かない高い作家性は趣味として追求したい人がすれば良く、足を引っ張るようなことを言わなくとも良い。
 
 
「寄り集まって形を作り、ねじれて絡まって、時には戻って、時には途切れ、またつながり。それが組紐、それが時間。」そして人。