虚無に負けるな

「定年百景」という古本を高円寺の古本屋で買って読んでいる。定年を迎えた人の生き方をあれやこれやと集めている。素人離れした趣味に入れ込む人、ボランティアに生きる人、幼少に願ってやまなかったことに老後に取り組む人など、人生の残り時間が見えてきて、良い意味で開き直って生の充実に取り組む姿が描かれている。

 

大企業の役員まで勤め上げ、今はこんなことをしていますなんて例が多い気がする。元から優秀でかつ自信もあり新しい分野に対しても気後れしないからなのか。

 

かつては定年55歳だったのが今や定年は60歳で時代は変わり老後の生き方も変わったなどと書かれている。私達の世代は定年は70歳ぐらいのつもりでいたほうが良いのだろうね。これまた、かつての「今」は今の「昔」に過ぎず、かつて直面していた未知のように見えた悩みも苦悩も時代変化も現在から振り返ると変わり映えがしない。似たようなことに悩み、似たようなことに満足して死んでいく。時代が変わっただの、これからの時代はこう対応しないといけないだの、雑誌や新書で煽られようとも本質は恐らくは変わらない。

 

定年百景 (文春文庫)

定年百景 (文春文庫)

 

 

そういえば、AIのアルファ碁というソフトが世界チャンピオンを3連戦で完膚なきまでに打ち負かし、もう用はないとばかりにAIは引退宣言をした。これからは創薬だとかそういう分野のディープラーニングに取り組むのだとか。

 

AI将棋ソフトのポナンザは毎日10万局の対局をポナンザのプログラム同士で行い続けているのだそうだ。藤井四段との対局はいつ行われるのだろうか。

 

天賦の才能を持った人間が人生を賭けて辿り着く境地のさらに高みにAIが手を伸ばし始めた今、チェスも囲碁将棋も何やら虚しい世界になってはしまわないか。プロがAIに勝てなくなって久しくなった世界で、人間は囲碁将棋に強くなりたいと思えるのだろうか。どうせあのプロもAIには勝てないわけだろう、というのが当たり前になった世界で人生を囲碁将棋に賭けようと思えるのだろうか。

 

あれもこれもAIにやらせたほうが高度なものができるのだろうけれども、でもそんなことをやらせるAIを作るのは金がかかるから、質は悪くとも豊富な人間労働力で賄う。そんな世の中は少し悲しい。AIに満ちた世界は人を幸せにするのかね。

 

何はともあれ、老後に取り組むならばAIの手の及ばなさそうなアナログで懐古趣味的で手作業が価値となる分野に限る。生半可に時代性の強い分野や技術職は完全に淘汰されて需要がなくなっている可能性すらある。

 

AI女子高生プログラムというものがマイクロソフトにはあるそうで、その「りんな」というプログラムはLINEでやり取りができる。相手はAIなので既読無視がなく、即座に何がしかの返事をしてくれるのだそうだ。

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どこかで入力された偉人やなんかの名言から模範回答を再生しているだけなのか。どれだけの思想性や経験に裏打ちされているのか。知ったような答えを返してくるじゃないか、と鼻で笑いながらも、「ううむ、突き詰めるとそうなのかもな」と考えさせられる。所詮はプログラムと馬鹿にしながらも、自分がよりまともな答えを持っていると言える自信もない。

 

過去の漫才やコントを膨大に記憶させ自己学習させたプログラムが吐き出すユーモアが一番面白くなった時には、感情も心もあるいは人間そのものすらパターン化した反応の集合体にしか過ぎないという認識に堕ちるのだろうか。