菖蒲かと思いきや、乾いた庭影に杜若。一輪だけだけれども場を支配しているような存在感だった。
説明し難いが、完璧に思えた。花弁の色艶も張りもこの日のこの瞬間が最盛期に思えた。写真に撮ると陳腐に映るものだか、写真に撮っても何か違うように思える。
透かし羽が蝙蝠蘭の葉に止まっていた。ステルス戦闘機の参考にされただけある機能美に溢れたフォルム。腹先のフサフサは止まっていながらジェット噴射しているよう。この透かし羽、顔がとても可愛らしいのだがこれ以上は近寄らせて撮らせてくれなかった。
日常でこんな草や虫を見つけると、美術展で素晴らしい作品を観た時と同じような興奮を覚える。虫や花の名前がわかるとなお、嬉しい。
この感覚を陶芸に表現できないものかね。何を作っても陳腐になって仕方がない。やはり仕事を辞めて山に篭ってでもして取り組まないと目指せない境地かね。
透かし羽は隣家のセルビアブルーセージの花が目当てだということはわかっている。
セージに透かし羽、
山椒に黄揚羽