外部の講演に勉強しに行ったりするのだが、某有名大企業の最年少取締役だとかそういう人が、とても熱量を持った話をしていて、敵わんな、と思う。経歴は輝かんばかりで、成功するべくして成功したような武勇伝と自信に溢れている。そんなに仕事に全てをかけたこともないし、断固とした不退転の決意で勝負をかけたこともない自分としては異国の人に見える。世の中には凄い人がいるもんだな、と。
元電通の最年少取締役だった有名クリエイターが、有名なプロガー作家に酷いパワハラ・セクハラをしていたことを最近、告発されていた。昔はセクハラへの認識や意識が低かったが学んでそれらを悪しきことだと認識した、というようなことを釈明謝罪文に書いているが、セクハラといった言葉や認識がなくとも人格の問題だろうに。クリエイティブの天才は見苦しい弁明で自らに留めを刺して地に堕ちた印象。情報社会の私刑を回避し損ねてしまった。
神戸開港150年に合わせて世界一のクリスマスツリーを作るという企画があり、プラントハンターの西畠清順氏が取り上げられていた。植物好きの私としては氏は雑誌に幾度も取り上げられており以前から知っていたがその内情が今回の炎上事件で漏れ伝わるにつれ、彼への理解と印象が根底から揺らいで悲しい限りだ。
- プラントハンター本人が探したわけではなく推薦・紹介
- 山奥の焼け残りではなく民家脇の樹木
- 移植と説明されていたが企画後は製材
- 樹齢は150歳ではなく推定250年
- 「落ちこぼれのアスナロ」と説明されたがヒノキアスナロという別種の青森ヒバの優材
- 本人は保護林で採取し逮捕歴あり
- 成人後に親の造園会社に入社し、植物の専門的な勉強は無し
- 親への罵詈雑言を一方的に公開 内容に異論反論あり
- 神戸の被災者への鎮魂が主旨のはずが、「ツリーを見るのが嫌な人は見なければ良い」との発言
ドロドロとしたことが溢れ出てくる。真偽のほどはよくわからないけど、雑誌で描かれる純真爛漫な植物愛好者、冒険家というイメージを持ち続けることは厳しい。誰も疑わないうちは自己演出が効いていた商売上手だというだけだったのか。「心を掴むために」細部を大衆の受けが良いように「アレンジ」することを積み重ねてきた様子。「ロックフェラーセンターのツリーは全世界でニュースになるから、同じ日に俺が運んだ世界一高いツリーで世界中を驚かせる」などの発言が自分の名を売るための利己的な人と思わせるのだろうな。
かつて、カーリー・フィオリーナは古い経営を否定した時代の旗手として、女性キャリアの一つの頂点として崇められていたっけ。今や、歴史に残るCFOの悪例とまでされている。乙武さんも強烈な堕ちた偉人の一人かもしれない。個人的に失望感が強いのはレインマンで名演したダスティン・ホフマンがセクハラで訴えられていることか。残念極まりない。
完璧な人はいないのだろうけど、心の中で長く尊敬し続けられる人というのがなかなかいないものだ。昔はプライベートや本人の二面性が表沙汰にならなかったからか、あるいは他人には検証不可能だったのか。世間では英雄、近しい人たちからは否定的な意見、というのは案外と多いらしい。情報社会というやつは派手な神話が作られやすいがその虚構も暴かれやすく、長く語られる偉人の生まれにくい世の中なのだろうか。
少なからずエゴイストで自己顕示欲が強くないと広く認知される現代的な成功者にはなかなかなり得ないのか。メディアが飛びつく売り出しやすい見た目やエピソードを持った人。人が気にしないであろう細部は虚飾して、世間が目を止める成果を効率的に、時に強引に積み上げていく人、それらを声高に自己主張していく人が階段を駆け上っていく人達なのかもしれない。細部を詐称捏造していても面白い話を持ってきてくれる人の方がメディアには重宝されるし、詐称捏造がばれてもメディアも私達も騙されたのです、と被害者ヅラして検証作業や裏取りを怠ったことを棚に上げやすいのか。
炎上したプラントハンターの西畠清順氏や元電通の岸勇希氏など炎上した元英雄の共通点は何なのだろう。その実力、権限、資格に伴わない富や名声や便益を不当に得ていたこと、公の言動と裏の素行が乖離していたことに対する怒りなのかもしれない。岸氏の場合は実力はあったが、だからといって若い女性を隷属させたり肉体関係を強いることが許される資格などない。
私が尊敬する宮大工の西岡常一氏。彼とて、近くで知る人柄は世間に知られているそれとは違うのかもしれないが、少なくとも不相応な利益や名声を得ようとする人ではなかったように思う。
https://matome.naver.jp/m/odai/2133460802374863301
虚飾に溢れて本物がわかりづらい世の中。尊敬する人として現役の著名人を挙げるのが憚られてしまう。なんだか残念だ。私みたいな人間には安心して慕うことのできるヒーローが欲しい。
華々しい経歴や武勇伝に溢れ、自分の売り出しの得意な人に比べて、脚光を浴びることなく富も名声も得ることが不得手だけど地道に何か素晴らしい伝統工芸を生み出している作家や職人。そういう人達をサポートできる仕事がしたいなあ、と思った次第。
例えるならば元ヤンキー先生よりも苦悩しながらも先生を長く続けている話題性の皆無な良先生。そんな職人や作家を支援したいのだよ。
一週間ほど前に、前職の同僚と銀座で食事をした。
行ったのは残念ながらすきやばし次郎ではない。たまたま通りがかって撮っただけ。
前職の近況を聞いた。もう私が在籍した最盛期の1/3ほどの組織規模になってしまい、知っていた人は殆ど辞めてしまっている。私が残したものなどあるかもわからんし、あっても誰も知らんだろう。振り返ってみれば出会いもあったし学びも多かったけど、離れてみれば綺麗さっぱり、あっさりとしてるものだな、と。
勘違いだろうとも、自分で納得のいくこと、胸を張れることをもっと考えていくべきなのかね。悶々。
西畠氏は犯罪を犯したわけでは無い。彼が大衆受けの為に見せようとした本人像と実態が根掘り葉掘り検証してみると違うから叩かれているが、彼は彼の信念を持って事を成している。世の中で大きな企画を実現するためには、馬鹿正直にやっても見向きもされんだろ?そういうエゴイズムをさらけ出して植物を使って自分の望む光景を生み出す人がいても良いのではないか。鎮魂の場を自分の成り上がりのショートカットの場にしたから不快に思う多くの人に曝されてまずかっただけ。そんな彼のスタイルが好みでないならば、自分の好みのスタイルで胸を張って何かに挑んでみろ、という自己叱咤な話。
珍しく愚痴。馬鹿正直にコツコツやっている人が割りを食らうケースをいくつか見て、 もやもやを吐露したくなった次第。