前回に轆轤で水挽きした奥の二つを削って径を合わせて蓋のように組み合わせられるようにしたのが下記の左のもの。指でこじ開けた雑な穴から植物が生えてくるようにする。
今回は室内におけるように、鉢の下に穴を開けなかった。
台座にもリムをつけて伝い落ちた水が溜まって周囲を汚さない防備策を講じた。
鉢内の下部には水を溜め、かつ根が触れて腐らないよう金網を貼る。その為の支柱を鉢の底部中央に立てた。
台座と覆いの繋ぎ目を下部に寄せることで上部に収めた植物をどぶ浸けして給水できるようにした。
風に煽られて倒れないよう、台座にある程度重みを残した。
これも綺麗すぎる真っ白でいるよりも、風雨にさらされ貫入に汚れが入ったほうが味わいが出そうだ。
4〜5年前に似たやつを作っていて、それの兄弟作品のようなものかね。足高、足低に続いて細くて1.5倍ぐらい長いやつも作りたい。それを3つまとめて林立させたら面白いのではないか。
残りの吊り下げ鉢の処遇について。
左手奥の轆轤跡を沢山残した鉢には飴釉をかけてシンプルな濃淡を楽しみたい。
右手前には絵柄を描きたい。底にはシッピキで土台を切った跡をそのまま残している。
左手前の変な彫りを入れてしまったやつはどうしよう。白マットでもう一つの鉢との連続性と調和を図るか。
はよ、完成させて次のものを作りたい。
見栄えの良い、これぞ特注という大物を作りたい。我が家の窓辺にジャストフィットする長方角鉢。モビールももう1セット、遊び心があるやつを作りたい。
目の前のものを作りながら、本当はあんなのやこんなのを作りたいのだよな、と心が次の作品に向かってしまうのは不健全。本当に作りたいものを作れていないということの現れなのかもしれない。逆にそう思わずに作れているのは鹿や団子虫の鉢を作っている時だから、目の前の作品に集中できるかどうかは創造性と個性の自己検出方法なのかもしれない。