平成最後の夏なんてフレーズをよく聞くようになった。今は関西に住む大学時代の友人と久しぶりに会うと、「海外旅行に行っても、もう、迷いなくマドモワゼルではなくマダームって言われちゃうんだよね」とのたまってた。そりゃ、無理だろ。私はとっくにお兄さんなんて呼ばれることは一切期待していない。この点は女性の方が欲張りなのだろうか。
それにしてもここ最近、歳をとったことを意識させられることが増えた。
ダイエットは2kgほど減っただけで停滞している。筋トレにしろ、ダイエットにしろ、本当に根性ないな、と思ってしまう。ルーマニアから友人が来たからだとか、ムシャクシャすることがあったとかで暴飲暴食して、こまめに朝食を豆腐だけにしたり、晩御飯に炭水化物を減らしたり筋トレしたりなんて努力を水の泡にしている。
仕事も組織の問題に目処がつき、そもそも私は何をすべきなのかだとか、何をしたいのかだとか、何のために働いているのかとか、自分は職業として何をしたいのかも分からなくなって少し意気消沈している。まあ、五月病みたいなものなのかもしれないが。
方や、右を見れば人生の全てを賭ける勢いで仕事に励み名を成している人、方や左を見れば陶芸家、画家、作家など若くして眼を見張る作品を世に送る人が溢れていて、自分は何にも焦点を絞れず全てに対して中庸に構えているように思う。
私の仕事外の関心ごとはチンケなことばかりだけれども、料理の腕もイマイチ上達していないし、陶芸も作品自体が制作できていない。語学は触れてもいない。子育てや家事に深く携わっているかと言われると全くそんなこともなく。
ここ数年、歳を重ねて得たものの実感が少ないことがもやもやの核心に思える。
この歳になると、叱咤してくれる人はいなくなってくる。歳下は遠慮して忖度して苦言は言ってくれなくなる。自分を客観視して正すべきを正さないと、ひっそりと人は離れていくだけだ。
自分を律する。
先達に教えを請う。
面倒臭がらずにやる。
謙虚に人に接する。
目的意識を持って目の前のことに取り組む。
先読みしたり知った気にならずに感受性を開いて物事を見る。
望むものを手に入れるためにはリスクをとる。
人の目を気にせず好きなものに忠実に。
心身ともに引き締めないと、だな。1年後に見返して、結局この後もダラダラだったと後悔したくはない。
ミッドライフクライシスとは老いに向き合って老いを否定する症状のように語られることも多い。いきなりダイエットや筋トレに取り組み始めたり、若々しさを取り戻すべく何かを始めたり、若さの象徴的な購買行動したり。始末が悪いと不倫や風俗に走る。
しかし見方を変えると代謝の落ちた身体でその後の30年を健康に過ごしていく自覚と習慣を身につけることであったり、何かを学び続ける自律と習慣を確立することであったり、学生の頃に比べて経済力が伴ってきた年齢だからこそ、少し勇気を出した出費をする。そういうポジティブな転換期なのだとも思えるようになってきた。
自分はまだ老いを受け入れて蓄積していく器というか芯がないのだと思う。向こう1年間が重要なように思えてきた。
8歳になるマンゴー殿。いつまでも若々しく年齢不詳。それでも行動の端々に俊敏さは失われてきた。
山道の登りでは暑さも手伝って舌を出してノロノロと皆の後を付いてくる状態だったけれども、しばらく山を歩いてからは軽やかに歩き回り始めた。いつも家にいてばかりじゃ、犬も精神が老いるのかもな。もう少しマンゴー殿に刺激ある生活も送らせたい。