歌舞伎町の雑踏往来と新宿ビル夜景を臨む茶漬けトンカツ「すずや」

 

f:id:mangokyoto:20190204191318j:plain

新宿駅から歌舞伎町へ向かい、靖国通りを見下ろす角地の5階にあるお茶漬けトンカツの店「すずや」。隠れ家とはこういう所を言うのかね。

f:id:mangokyoto:20190204192951j:plain

全面窓のまだ誰もいないカウンター席。新宿の一等地だが、混雑しておらず落ち着いている。バルコニーもフェンスも植栽もなく、窓一枚を隔てて道路の上空に繋がる浮遊感。

f:id:mangokyoto:20190204194607j:plain

カウンター席に座り、ぼんやりと見下ろす。靖国通りを信号が青に変わる度に流れるそれは時計の砂のよう。規則正しい呼吸のようでもある。これら経済粒子はヘモグロビンを運ぶ赤血球みたいなものかもな。ビルという骨格の中の店という細胞に供給が途絶えると細胞は壊死するわけか。なるほど。

f:id:mangokyoto:20190204191705j:plain

音も無く左右へと滑っていく棒のような電車の往来。特急甲斐路だ。奥に走る馴染みの薄い銀色は西池袋線だろうか。さらに遠景には聳え立つ新宿新都心。何万人があの中には詰まっていてまだ働いている。

別に働かないといけない悲壮感を感じるわけでもない。街として栄え発展していく熱気を感じるわけでもない。淡々と大きさと多さをただ感じる。

f:id:mangokyoto:20190204201032j:plain

大抵の人は、自分は特別だと思いながら、単なる景色の中の一粒だとも自覚しているのだろう。姿形すら確認できない目線の先にいるはずの誰かにも、本人としては自分ならではの悩みや苦労もあるつもりかもしれないが、側から見たら特別視することもないことばかり。自分が個性だと思っているものは、数万の単位でサンプルが集まるカテゴリーでしかない。

別に否定的に捉えているわけではない。誰もそんなに誰かのことを気にしちゃいないし、意識などしていない。表に出過ぎないように気をつけながら、もっと自由に好きなことをやっても構わないのだと思った。ポジティブな意味で。

f:id:mangokyoto:20190204200938j:plain

そんなこんなで料理が届いた。ヒレカツ、牡蠣フライ、海老フライの盛合せ定食。キャベツ、味噌汁、御飯はお代わり無料。1650円也。若干高いから得られるこの落ち着きと静けさなのだろうな。

f:id:mangokyoto:20190204191912j:plain

肉厚な牡蠣フライの半分を齧って断面を見ると丸々としていた。辛子もガツンと辛さが引き立っている。衣はサクサクだ。

職場のフランス人は北洋で採れる薄っぺらい牡蠣が恋しいと言っていた。日本の牡蠣は芳醇すぎるのだと。フランス近海の牡蠣が壊滅した後に日本のそれを移植したのだから品種は同じはずなのに、日本ほど富栄養化していない味が恋しいのだという。

f:id:mangokyoto:20190204201443j:plain

一人一人、好みもこれだけ違うけれども、それでも同じ趣味趣向の人は呆れるほど大勢いるのだという話。だから他の期待値や趣味に合わせる必要なんてないのだろう、と。

f:id:mangokyoto:20190204201548j:plain

エレベーターを降りると、店内で牡蠣フライを食べながら「あちら側」だと思っていた世界に入っていく。

f:id:mangokyoto:20190204201555j:plain

「客引きの言うことは全て嘘です。絶対についていかないで下さい。」該当スピーカーから音声が流されていた。全て嘘とは大袈裟な。ただ一片の真実すらないのかね。