ようやく見つけたパリ本場のB級スポット、死臭と耽美の猟奇の館、自然狩猟博物館

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フランスは永らく猟犬を育て鳥獣を狩り食す文化を持つ国で、そんな文化を知ることのできる博物館がポンピドゥセンターからほど近い場所にある。

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鹿を食用に狩猟し、その皮や毛を活用したり、頭骨を飾ったり、家具にしたり利用するのは私の中では構わないと思っている。しかしここにはアフリカ大陸などの珍しい角を持つ草食獣が好奇心から狩られ、高尚で富がなければできない趣味として見せびらかしてきた歴史も教えてくれる。

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男女差別、人種差別、ビーガン、動物愛護、食料廃棄、ファーストアパレルの大量在庫廃棄、マイクロプラスチックなどフランスの市民レベルからも多くの理解を得て提起されている社会問題は多い。しかし、強烈にそれらをやり尽くしてきた国の人達がそのカウンターカルチャーとして社会問題を提起し、意識高いヅラをして、自分らほど熱心でない他国の人達を後進的かのように見做す様には鼻白む。

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レディーファーストは男性優位社会特有の線引きだし女性の美醜の格付けまで熱心にやってきたのはフランス。アジアやアフリカを侵略して回り、今でも人種差別をし接客対応が露骨に異なるのはフランス、食料廃棄率が最も高いのもフランス、ファーストアパレルとてZARAのフランスでの成功は大きい。散々娯楽目的でも狩猟してきたのもフランスだ。日本の霜降り牛など日本も他国のことをとやかく言えないがフォワグラやら美食の為に家畜を虐待的に扱ってきたのも事実。度合いが強いからこそ問題に気付きやすいという点もあるのではないか。

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誰もが自己主張をし多くが政治的主張にも加わり行動も取るのはフランス人の良いところとも言える。フランスには他国や人を責めるのではなく、自国の問題を優先的に解決し、その解決法を他に提供する形で貢献して欲しい。

ちなみにエネルギー政策においては原爆被爆国であり、原発運営で致命的な過ちを重ね続けている日本こそがその分野でリードして欲しいものだが残念でならない。

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それにしても偶蹄類の顔はどの角度から見ても美しい。


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灰色の老いた猪の頭部剥製があった。森の主だったのだろうか。その白い毛は森の中では目立っただろう。追いかけ回され、追い詰められ、討たれたのだろうか。せめて狩り手の二、三人でも道連れにしたかもしれないが、犠牲になったかもしれない勢子は単に駆り出された農民やら下僕だったかもしれない。

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幼児連れのフランス人家族が多い。ほら、牛さんだよ、ライオンさんだよ、という動物園感覚で連れてきている様子。

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この博物館自体は幼児子供向けに作っている意図はないようで、子供が触りたくなるようなものは皆どれも触れることは禁止されており、館員が都度都度、注意している。

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「怪獣たちのいるところ」変身ブーツ。子供が履きたそうにしていた。それはね、熊さんを撃ち殺して、脚を切断して、皮を剥いで作ったのだよ。


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大きな広間では巨大なスクリーンに、何もない閉鎖空間に狼と鹿を閉じ込めて観察している映像を繰り返し再生している。「ほら、鹿さん」みたいに子供に促している親も多々いて、その表面だけを消費する珍妙さや俗悪さを客と一体で構成する展示のようでもあった。鹿は逃げ場のない空間に捕食者と入れられて落ち着かなく、思考停止しているようでもあった。


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この眼は断末魔の狂気。狩猟者に息絶えるまでの数分にあらん限りの呪いをぶつけている眼。

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こんなポットを開けて、「見よ、朕が今日、仕留めた猪肉のシチューである。美味そうであろう」なんてやってきた歴史を持つ西欧の支配者達には帝国主義の植民地競争では勝目がなかった理由がわかる気がする。

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おでこにドングリ載せるなよ!

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時代が下ると、死んだ猪もエレガントに静かに、諦めの雰囲気を纏うようになっていく。釉薬の流れを活かして毛並みを表現する超絶技巧付き。

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この博物館の中で最も猟奇的に思えたのが何世紀にもまたがる猪の陶製ポットコレクション。

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一時代の一作家の悪趣味では済まされず、何世紀にもわたって改良に改良を重ね表現が探求されてきた、気まぐれではなくしっかりと根差した一潮流だと言うことがわかる。何せ、その時その時の貴族や為政者が造らせ続けてきたのだから。

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よりグロテスクに、よりリアルに。肉片に調理されても対象の元々の姿と死と苦しみを再度感じながら食べるその胆力。

 

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幻想的な展示が並ぶ。

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何年に誰々が作りました、高さは何メートルで。。。なんて陳腐なガイドではなくこういう展示にこそどんな意図を込めて造られたのか解説が聞きたい。

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美しいのだけれど背徳的。

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この梟は目が完全に人間のそれで座っている。なぜ、人間の肩幅にシルエットを作るのか。

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なぜ天井を見上げたら視線が合うように作るのか。夜中に起きて天井にこれがあったらトラウマものだ。

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澁澤龍彦氏ファン、猟奇愛好者、バロック好き、ベルセルクファン、そして華の都パリでカタコンベに行くような人にはもしかしたら呼応する幻想世界かもしれない。

 

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切り倒された樹々、斬り落とされた首。寓意は何だろう。ハイエナの表情がなんとも活き活きとしていて、絵全体の印象は秋晴れのように爽やか。鼻からの血の垂れ方に写実性がある。

 

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可愛らしい子鹿の壁紙かと思いきや。

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リッピング

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狩猟文化を単純に賛美せず、グロテスクさを隠さないところが良い。ようやく変質的なフランス人の好奇心と毒とユーモアを感じられるB級スポットを見つけられた気がする。


死臭と耽美の猟奇の館。甘く可愛いパリに飽きた人にオススメ。