ホイアン 会安 日本橋。5年以上の東南アジア駐在員の帰国禁止令。

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ホイアンは400年も昔に日本人街があったそうな。そんなわけで旧市街地の入口にとりあえずが立つ。一見すると両部鳥居のようだが、中央にさらに段がある。このような様式は何というのだろう。

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1601年に広南阮氏は徳川家康と国交を結び、約30年の間に73隻の朱印船が訪れたのだという。それにしても、朱印船は朱色だったのだろうか。展示されているのは祭の山車であって実際の朱印船は遥かに大きいのだろう。記録によれば500〜750t、200〜250人も乗り込む巨大ガレオン船が行き交ったそうだ。

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当時には少なくとも300人、多くて1000人もの日本人が移住して日本人街を形成していたとのこと。関ヶ原が終わった直後に遥か異国に渡る決意ができた人の決断力はすごい。

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日本で生まれ育ち、ホイアンに暮らし、鎖国とともに帰国した人はどれだけいるのだろうか。胴元として京都の豪商茶屋四郎次郎らが巨富をさらに増やしたらしい。

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1633年の鎖国令によって朱印船貿易は終焉を迎えた。5年以上、東南アジアに定住したものの帰国が禁じられたとのことだが、事前予告はあったのだろうか。突如、宣告されて祖国の土を踏めなくなったのか。無数のドラマがあったに違いない。

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