多肉植物やサボテンを植える陶虫夏草鉢の試行錯誤あれこれ

昨年は虫の体そのものを鉢にして体躯の中に土を入れられるようにした植木鉢をいくつか作った。しかしそうなると土容量を確保するためにはサイズを大きくせざるを得ず、巨大団子虫や巨大蝉幼虫ができるに至った。これでもかなり土が少なく、かなり乾燥に強い多肉植物しか植え込めない。

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難点を感じていた。私たちにとって虫は小さいものであり、1000倍に拡大された団子虫は手のひらに転がるあの団子虫と同じものとして体感認識できない。造形的に団子虫だと理解してもらえても、巨大化されるとどうしても異形というかバケモノじみて感じてしまい、冬虫夏草をコンセプトにした「虫から生える植物」という表現よりも巨大な虫そのものに目が行ってしまう。バランス的にも虫が植物よりも大きくなりがちだ。

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改善策として考えたのが、虫を虫として感じる程度の小ささで作り、それを土を入れられる筒鉢の上に乗せる造形。これで虫から生える植物の存在感に目を向けられ、虫よりも存在感のある大きさの多肉植物を育てるのに十分な土容量も確保できる。まずは3体を作ってみたが私の中では試みは成功したように思う。

 

前回は土台の鉢も虫も黒土で作り同じ釉薬をかけたので虫と土台の印象が同一化した。今回はもう少し虫を引き立たせてみたい。今回は土台の筒鉢を赤土で作り、上部の虫鉢を黒土で作ることにした。

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大角花潜(オオツノハナグリ)。細部を作りこんでも釉薬を掛けると消えてしまうので特徴は少し誇張気味に作る。ごつくトゲトゲの足を作ってみた。レギウスやゴライアスのように白土で背中に模様を描いてみようか。

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奥に居るのは三筋蠅取蜘蛛(ミスジハエトリ)。家によく出没してピョンピョン跳ねて可愛い馴染みのハエトリグモだ。前方についた4つの眼にだけ黒い釉薬を掛けて光沢を与えてみたい。

 

手前は源五郎。あたかも家族の一員のような名前の虫で稲作農家にとっては馴染みの虫だったけれども農薬を多用した農法普及後には絶滅危惧Ⅱ類に指定されるまでに減ってしまった。アメンボよりも速く泳ぐ姿は圧巻。幼虫は成虫よりも獰猛な肉食で大顎で他の昆虫に食らいつき、毒と消化液で液状化して吸い取る。そんな源五郎もしまいには人間に佃煮にされる。f:id:mangokyoto:20200308214130j:plain

 遊泳毛がついた立派な後肢を作りたかった。これがないとどう作っても源五郎らしさが出ない。斜め上に伸びており、素焼きと本焼きに耐えられるかかなり心配ではある。

 

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亀虫(カメムシ)を目指したのだが、触覚をこれ以上細くすることができなくて謎の虫になってしまった。弱ったミニトマトの株をどこからか飛来して集団で襲う憎い害虫。うかつに作業中に触ってしまうと強烈な臭気を出す。コリアンダー、シャンツァイ、パクチーと呼ばれる香草にカメムシソウなどという和名をつけなかったらもっと食材として普及していたと思う。造形的には頭が大きすぎて失敗。甲の肩をもっと尖らせないといけなかった。資料を印刷して見ながら作るだとかしないとこうなる。世界中を見渡せば、この特徴通りの虫がどこかにいるはず。アマゾンとか。

 

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オサムシというかタマムシというか。一番雑な造形に苦笑。釉掛けすると雑さは隠れることに期待。カメムシといい、これといい、虫の種類毎の愛着度合いの違いが造形の精度に露骨に出ている気がする。

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そして無事に焼きあがって欲しい期待の虫鉢がこれ。蚕蛾。中国では非常に高価な漢方「冬虫夏草」を養殖する際に菌を蚕虫に接種し苗床にするそうな。私の「陶虫夏草」シリーズの中で最もテーマにふさわしい大本命。虫鉢としては成虫ではなく繭から多肉植物を生やすべきなのだろうけれども、蚕は形状は石ころにしか見えなくなるのでここは私の都合よく解釈したい。蚕は昔の人たちにはとても身近な虫だったはずで、その割に現代の私たちには馴染みが薄い。純白な体躯、顔、フサフサの脚、美しく繊細な触覚。造形的にもとても魅力的な虫だと思う。

 

東高円寺の駅近くにはかつて養蚕試験場があり、今は蚕糸の森公園となっている。私の祖父母の家でも一時期飼っていたことがあったそうだ。そのうち、我が家でも「お蚕さん」を飼って育て、絹の繭を採ってみたいと思っている。新鮮な桑の葉を毎日調達することは都心では難しいがペットショップでは羊羹になった桑の葉が売られているのを覚えている。

 

幼虫は枝に捉まる力もなく、成虫は飛ぶ筋肉すらなくし、羽化後は何も摂取することができず交尾産卵だけして死ぬという自然環境では全く生きることができない虫。養蚕目的の場合は繁殖用個体以外は繭の中にいるうちに茹でられてしまうので成虫になる機会さえ与えられない。その特異さにあれこれ複雑な気持ちにさせられる。温かい環境で飢えることもなく、人々の生活の糧として大事に大事に育てられた家畜とも言えるし、一切の自活力を奪われた奇形の虫ともいえる。

 

いざ、飼育するとして糸を紡げる繭を採るために羽化する前に茹でてありがたく蛹も食べるべきなのか。蚕蛾を拝みたいし羽化させるとして、羽化後に唯一できる生命活動として交尾できるよう雌雄を揃えるべきか。幼虫の雌雄が判別できないならば念のため3,4匹育てるべきなのか。あれこれ考えだすときりがない。

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