心を融解してくれた早咲きの桜

先週はとりわけしんどかった。

 

こちらの会議の予定など無視で突然電話が掛かってきては1時間以内にこれを調べろ、この説明資料を作れと指示依頼が来て、時限爆弾処理のような気分で時計を気にしながら毎日12時間近く机に張り付いていた。何回、議論がなされたことだろう。そんな結果として、今後はさらに過酷になりそうなことが決定された。さらに子供の送り迎えや晩御飯の準備も重なり、気が張り詰めっぱなしだった。

 

ここには仕事のことは書かないようにしているが、そんな背景があることは必要なコンテキストだと思う。コップに水は満杯近く溜まっていて、さらに加わったら溢れるのかもしれないと自覚しているような状況だった。

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まだこの季節に桜が咲いていることは期待していなかったので不意打ちだった。自転車で通り過ぎそうになったところを急遽、ブレーキをかけて見上げたらこの景色で、ハッとした。

 

物量で注目を集める「桜の名所」の群生よりも、花の一輪一輪を庭先で眺める方が良いのではないかと思っていた。しかし辻を曲がったら一面の桜だったとか、ふと見上げたら一面の桜だったりとか、遭遇した際の驚きも格別なものだ。

 

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桜は下から見上げて鑑賞すべしと昔の人は言った。まさしくその通り。そして見上げた背景の空が突き抜ける晴天なら、この上ない。

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この季節は寒緋桜だろうか。いや、河津桜に近いように思う。5弁のいかにも桜らしい花の形だ。今頃、伊豆の下田周辺は咲き乱れているのだろうか。

 

庭やバルコニーの蕾をいつ咲くのかと心待ちにするのも愉しいが、一面の桜には何か心動かされる特別な力を感じる。何なのだろうね。

 

コップの水は半分ほど蒸発したような気がする。

 

多くの人が大変な思いをしたこの一年。とりわけ2021年の桜は癒しとなるのかもしれない。

 

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高円寺にさくらさく。

 

京都に行きたい。

毘沙門堂の長い階段を上った先の枝垂れ桜。

疏水沿いの本圀寺の金鐘と桜。

蹴上の廃線上の桜。

千本釈迦堂のおかめ桜。

岡崎の堀の上に咲き乱れる夜桜。

京都植物園沿いの賀茂川の紅枝垂れ桜。

平安神宮の背の高い紅枝垂れ桜。

京都市役所の階段から眺める中庭の桜。

将軍塚の見下ろす桜の絨毯。

低い背丈の御室桜。

何年経っても、すらすらとあそこの桜はこうだった、ああだったと思い出せる。