老化について、何者にもなれなかったことについて

昨年秋頃、動悸がして、息苦しく、気落ちして、やたら不安に駆られ、頭が真っ白になる瞬間もあり、長く寝ることができずに朝の5時や6時に起きてしまうことが増え、もしかしたら鬱への入口なのではないかと疑っていた。あれ、自分ヤバいかもな、と。客観的にはそれを疑うに足る状況証拠はあったのだ。


しかし、最近は別の可能性を疑っている。単なる更年期障害であり老いではないかと。


先日、夜20時以降に降って沸いた緊急の仕事に深夜2時半まで取り組み、やあ、疲れたと思ってベッドに潜り込んだのに6時半には目が覚めてしまった。それでも子供達と18kmほど自転車で出掛け、その後には公園でサッカーをしたりと動き回る1日を過ごした。


疲れていても寝れないなんて、今までになかったことなので戸惑うが、いろいろと更年期障害の症状と合致することが多い。まさか自分が、と受け止め難かったがこれが老いなのかもしれない。私は確実に肉体的ピークを過ぎて下り坂を降りているはずなのだから。

f:id:mangokyoto:20210221112726j:plain

案外、冷静に自分のことを客観視できているのだよな。自分は20代、30代を費やしてこの程度で終わってしまった、とか。趣味の陶芸にしろ、上手だ私の作品が好きだと言われ特に宣伝もしていなかったが1万円や2万円で作品を買いたいと申し出てくれる人がちらほらいて気を良くしていたがもっと凄いものを作れる中学生、高校生もわんさかいることを知っている。食っていける水準には遥かに及ばない。可能性を秘めていた青年は平凡な中年に仕上がったのだ。

f:id:mangokyoto:20210221112654j:plain

冷めたことを書き連ねているようだが、悲観的になってるわけでもないのだよな。これまで一点突破的に何かをやり込んだわけではなく、何者にもならなかった代わりに何かを犠牲にしてきたという思いもない。

凡庸、中庸を目一杯に心掛けてきたのだと思う。

仕事もそこそこやり、家計も悪くはないし、家事育児にもそれなりに時間を割け、料理も苦に感じないほど楽しめるようになった。趣味も独身時代からはかなり減ったけれども泥酔するほど酒は飲まず、ギャンブルもタバコも嗜まないかわりに作陶、多肉植物育成、庭いじり、時折DIYと無害なジジ臭い分野ばかりやりたいことは尽きない。容姿には恵まれずとも結婚できて子供も2人授かり、もう少し子供が大きくなったらスキーやキャンプに連れて行くなど広がる楽しみもある。子供は2人とも懐いてくれており、一緒に寝たがるし、遊びたがる。マンゴー殿も老齢の割に元気だ。これからの半生はもっと社会貢献にも目を向けるべきだと思っていてここに大きな不足を感じている。


人生が後半に差し掛かったことを自覚して目覚めたように、あるいは老いを否定するかのように、突如若い相手と浮気したり、スポーツカーや高級な時計を買ったり、若い人に対抗するかのように筋トレしたりする人が出てくる。典型的な中年クライシスの症状だ。俺だってまだ若いんだぞ、と。しかし私はあまりその方向への衝動は感じない。


特筆すべきこともない平凡な人生だったし、これからもそうかもしれない。だからといって心根も枯れているとは思わない。伊藤若冲なんぞは家業の商いを引退して60過ぎから絵を描き始めたし、陶芸仲間も50代を過ぎてから仕事を辞めカフェを開いていたり。人生の後半になっても始められること、できることはあれこれある。100を超えるやりたいことリストは消化されるより増える一方だ。


老いを受け止めつつ、世間が良しとすべきことではなく自分の価値観に照らしてやりたいことをやる。足るを知る。小さな喜びを知覚する感受性を保つ。穏やかに子供を育て上げ、やりたいことをやって死ぬ。それで良いように思う。


5年後、10年後に自分はこれを読み返して何を思うかね。