この館でしいて一番、ハリボテ感があるものは何かと言われたらこの人魚の像かもしれない。それでもそんなに安っぽい感じはしない。発泡スチロールで作られていて細部が欠けたり塗装が剥げたりなんてことは一切ないので、全体のレベルの高さがわかる。人工大理石だったら完璧なのだろうがお値段が酷いことになるだろう。
それにしても紐もなくバストトップに付いている貝はニップレスみたいな位置付けなんだろうか。人魚の側に立って考えてみると胸を隠すような羞恥心があるとは考えにくく、人魚からしてみたら泳ぐにも邪魔だし絶対要らないと思う。ちなみに人魚ってやつはやはり生臭いのだろうか。
鹿の剥製があれば鹿の骨格標本があるように、人魚の像に呼応するかのように人魚の骨格標本を置くところにユーモアを感じる。上半身の背骨から腰骨を通じて下半身の脊椎が繋がっていないが、人魚の骨は実際はどうなっているべきものなのだろうか。腰骨は要らないように思うけれども無いと岩場に腰掛けるなような体勢は取れないかもしれない。
人魚と聞くと上半身は美しい女性だと思い込みがちだが、男もいるはず。この人魚の骨は腰骨の少しすぼみがちな形状からして男性ということはなかろうか。人魚と聞くと女性、半魚人と聞くと男性を想像してしまうのは何故だろう。
鋭い眼光そのままの猛禽類の剥製。繰り返してしつこいが、剥製にも質というものはあって昔のものなんかは技術も義眼の質も低い。ここの剥製はこれなら自分の家にも置きたいと思えるようなものばかり。
私が倒されたのは渋い皮ソファのカップルシート席。無論、おひとり様だが。
二階建ての各部屋に1組づつという贅沢な空間の使い方で同じ時間帯には合計4組しかいなかった。そのうち1組は私1人だ。かつ、背丈ほどもあるパーティションで遮られているので安心感は強い。コロナなど気にせずに存分に世界観に浸って欲しいとの強いメッセージを感じる。
ジブリミュージアムやディズニーランドがそれなりに高い入場料を取った上で中の食事の値段も高いことを思えば、2000円の食事に2時間の席料と入園料2000円を払っていると思えば十分理解のできる値段。1部屋に1組しか客を入れず、他の客に迷惑にならない範囲で好きなだけ調度品を観察したり写真を撮れたりするのどから。
大抵、こういうコンセプトカフェは食事がおざなりになるが、味も美味しかった。コースでしっかりとした肉料理を頼んでもよかった。
本棚には岩波書店の海底2万海里が置かれていた。まさにそんな世界観。
甲殻類の標本は経年劣化すると白化してボロボロになりがちなのだけれども、最近の標本技術ではこれだけ甲殻の色が残るのだろうか。ヤシガニは貴重。
奥には本棚があって、この世界観に沿った写真集や美術書、小説などが並ぶ。30分近くはそれらを眺めて過ごした。
おいおい。コモドドラゴンの標本か。凄いものがさりげなくあるな。
爪の鋭さがえげつない。牙には失血によるショック死を引き起こす強力な毒があるらしい。
売店もあって様々なグッズも売られている。読みづらいがWitch's Tea、魔女の紅茶と書かれている。
1人席は現在はコロナ禍では使われていない。もともと備え付けの木製のパーティションもあるし、もっと客を詰め込むこともできるのだろうに、1部屋に1組でかつ背丈もあるパーティションで囲う念の入れよう。
鉱物標本。
小道具がどれも魅力的。
帰る際にはこの木製の分厚い扉を開いて帰っていくことになる。これだけでもおいくらするのでしょう。
設計者の底なしの造詣とこだわりに溢れたカフェレストランだった。また来たい。
叶うことならば私だったら「多肉」「陶器」「和様式」で構成した高密度な空間を作りたい。事業登録して自分の欲しい多肉や陶器で空間を作り、それを内装・設備投資の減価償却費としてすべからく計上してしまいたい。なかなか手の届かない巨大な古株の多肉植物やサボテンを派手に飾りたい。利益が上がる分だけさらに什器や装飾に投資していく正の循環。ダメかね。