私は若い頃、イスラームなものに溢れた世界にいた。
日に5回、街にアザーンの祈りが響き渡り
挨拶はメルハバやアッサラームアライクンで
暑い陽射しの下で、髭だらけの男と頬を触れ合わす挨拶を交わしていた。
ターバン、ジュラバ、ヒジャブといった大きな布で顔以外を覆って日々を過ごした。
不快な思いをさせることのないよう左手の不浄を意識していた。
埃っぽい乾いた街を水と棗椰子とひよこ豆だけを口にして何日も歩き回った。
疲れたらモスクに入って涼んだ。
白人は異人で、アジア人はさらに珍しい異国人だった。
短い期間だが通っていた大学ではグルジアやアゼルバジャンから来た子が机を並べていた。彼ら彼女らにはトルコが足を伸ばせる中心地であり、先端の地だった。
シリア、ヨルダン、エジプト、モロッコなどをうろうろし
マケドニアで発展から取り残された古いトルコ語を話す集落に出会ったりもした
治安の悪化で断念したがイラン渡航VISAのついたパスポートが今も残っている
アラブ、イスラームが中心の世界にいた。アメリカやヨーロッパのことはテレビでしか見ない遠くのことで、日本なんて存在を感じない世界だった。その日々は楽しかった。
何が言いたいかというと、それなりに1年近くを中近東で暮らし、私はイスラーム世界にそれ相応の敬意を抱いているということだ。耳目を集めやすい極右や原理主義ではなく、大勢を占める中庸なイスラーム世界を知っている。
映画「キングダムオブヘブン」はイスラーム諸国が科学においても政治においても西欧よりも先んじていた時代を描いており、あれこれ懐かしくなった。キリスト教勢の方が史実では異教徒の虐殺を繰り返し、醜い内紛を繰り返し、狂信的だった。それをその通りに描いていることにとても好感の持てる作品だった。リドリー・スコット監督。