書くことがない。たまに過去5年前、10年前に自分が書いたことを見返すことがあるのだが昔のほうが今よりもあれこれ考えていたように思うことも多い。
年を重ね、経験を積み、色々なことに対する既視感が増え、多少の困難もこうなるだろう、落としどころはここかな、といった予測ができる範囲も増えた。
20代はあれこれ新しい経験に溢れ、自分の成長も感じられていた。若いころに比べると自らの成長スピードが恐ろしく低下している気がする。言い換えると進歩が無くなっている。しかしもっと深い問題は何のための成長かというベクトルの曖昧さがおざなりになったまま10年、20年を過ごしてきてしまい未だに曖昧なままだということ。
ブログにも後から読み返して自分にとって有用なこと、備忘録、読む人が知って助けになる街や店やモノの情報を書こうと思っていた。フィリピン生活時に日本語を一言もしゃべらない日もあったのでとりあえず毎日、日本語で何かを書こうと思って始めたことが惰性で続いている。
今日のブログエントリーという空白をどうでもいいことで埋めているような気がする。ジャンクなエントリーで有用な情報の検索性を悪くしているだけのようにも思う。
一見、聞こえの良い言葉で本質としては惰性と堕落を取り繕ってしまってやいないか。似て非なることに気を付けねば。
達観 ⇔ 諦観
謙虚 ⇔ 低自己肯定
現実的 ⇔ 創造性の欠如
落ち着き ⇔ 低気力
先回り予測能力 ⇔ 落としどころを低く据える
自分を受け入れる ⇔ 自分を諦める
財産、キャリア、地位。大きな視野でみたら些細なものなのに、私が積み上げてきたものなど所詮ささやかな程度なのに、いろいろなものを守りに入る意識が年を重ねるにつれて強くなってきているのかもしれない。リスクを取って取り組んだと思ったものが振り返るとそこまでのものではなかったように思えてきている。
自分自身がワクワクする結果の見えないことにもっと取り組んでいきたい。
床の色に埋没するマンゴー殿。