学生の頃はテレビの連続ドラマを一つも観たことがなかった。ロングバケーションが流行っていて久保田利伸の歌声があちらこちらから聴こえてきたり。知識としてどんなドラマが流行っていることを知っていたぐらい。その一方でドラマは観ないが映画は一年間で200本近く観た年もあった。
中年になって日本のドラマを観る機会が増えた。人生経験や共感できる引き出しが増えたことで楽しめるようになったからかもしれない。
2017年放映のドラマ「カルテット」。
妻役の松たか子と夫役の工藤官九郎が夫婦のすれ違いを描いていく回がある。私は妻とは大学1年生からの長い長い付き合いだが、未だに理解できない部分はあるし趣味が合わないことはさらに多い。一緒に映画を観て同じように泣き笑いを共有したい夢はとうに捨てた。私の陶器や多肉植物への愛は一切共感されない。私は時代を経た美しいものが好き。妻は新しいものが好き。私は不便を楽しむのが好き。妻は快適が好き。
お互いを理解できない十分な余白を互いに持っていることがプラスに働いているのではないかと思っている。妻の全てを理解しようと思わない。妻を全部理解できたと思った瞬間から終わりが始まる気がする。
音楽を夢として持ち続けるのか、趣味として折り合うのか。作中で何度も提示される問い。私も未だに基礎からしっかり作陶を修行したい思いやら宿を開く思いが燻っている。
そういえば、吉岡里帆の最終話でのセリフが強烈だった。因果応報的に痛い目には合わないところがむしろ清々しい。それぞれが自分の性質と業を踏まえて好きに生きていくだけだよな、と思う。
柳楽優弥がドラマ「ゆとりですが何か」で「おっぱい、いかがっすかー」と絶叫していたシーンに比肩する開き直りと清々しさを感じた。自分のイメージダウンを恐れずに役を演じ切ることを重んじた爽快な開き直り。私も老衰で往生する間際に言ってみたい。たまには反感を買うことを叫んでみたい。
三浦しをん「愛なき世界」
植物学に魅せられたT大学博士課程の女性とその女性に片思いするキャンパス向かいの大衆定食料理店の見習い料理人にまつわる話。すわ、多肉植物かサボテンが主題かとときめいたのだがサボテンの棘を透明化する研究に身を捧げる加藤という登場人物は出てくるものの研究主題の植物はシロイヌナズナだった。
巷では評判なようだが、私の期待値が高すぎたのかもしれない。
好きなものはどうしようもなく好きだし理由など後付けだし、好きでもないものを好きになることは難しいという言語化したら大したことないことを読後に認識を新たにした。
妹尾まいこ「そしてバトンは渡された」
母と父が7回も変わった主人公の女の子と血のつながらない娘を精一杯愛した継母、継父達の織り成す物語。
自分の嗜好や性格は変えられないしそれに沿うことをして、それに合う生き方をすることが結局は幸せの可能性を最大化すると思われる。
子供に対して愛情は過剰と思えるぐらいに表現すべき。子供達にとって学校でのイジメや競争における自信喪失などいろいろあるだろうが親からの愛情への確信は大きな支えになる。はず。
仕事においてはやりたいことと相対的に得意なことが異なるのは悩ましいが、少なくとも私生活においてはますます世間一般が良しとしていることよりも自分の好きなことを優先したい次第。