ウクライナ友人の無事をせつに願う

キエフと記憶していたウクライナの首都名が最近では新聞などでキーウと表記されている。ロシア語読みのキエフではなくウクライナ語読みのキーウで呼ぶべきとの配慮らしい。

 

かつて20歳前後の私はルーマニアで働いており、ハンガリースロバキアポーランドウクライナを2週間かけて友人から友人へと紹介してもらいながら数珠繋ぎに泊まり歩いていくという若者の青春真っ盛りな素敵な旅をしたことがある。

ルーマニアの友人がハンガリーの友人を紹介してくれ、ハンガリーの友人がスロバキアの友人を紹介してくれ、さらにはスロバキアの友人がポーランドの友人を紹介してくれるというふうに。いく先々で会う人は全員初対面で、時には家族で暮らす家に転がり込んでお母さんの家庭料理をご馳走してもらったり、時には友人同士で住むシェアハウスに転がり込んで酒盛りして夜を明かしたり。

彼らは宿と食事を提供する代わりに、日本から来た珍奇な男はささやかなお土産と飲み代と日本の話を提供する。好奇心旺盛で日常に飽きていた東欧の大学生の彼らは喜んで数日間、私の相手をしてくれた。

 

時には次の目的地の友人が私を女の子だと勘違いしていたこともあった。私もてっきり男の友人を紹介してもらったと思い込んでいて女性が迎えに来てくれて面食らったこともあった。

 

ウクライナ西部の街、リビウで迎えてくれたのはナディヤという八重歯でブルネットの素敵な1歳違いの女の子だった。私は清く正しく部屋の隅で寝袋で寝かせてもらった。

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リビウはルヴォヴに近い発音で呼んでいた覚えがある。これはポーランド語読みで私がポーランドから電車に乗って越境したからそうインプットされたのだろう。

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リビウはウクライナにおける文化の中心地で日本における京都のような位置付けの都市だった。西端にあるからか共産主義の無機質、硬質、直線的な建物よりも中世ヨーロッパの過剰装飾的な華やかな建物が多い。街歩きは観るものがどれも刺激的で、ウクライナのイメージが一気に彩り豊かになった。

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そんなリビウでも爆発があり、住民が怯え、西側隣国に脱出を図っているというニュースを見て胸が締め付けられる。あの美しい街並みに砲撃が加えられていると思うと怒りが湧く。連絡先を失っている数宿数飯の恩人は無事だろうか。確かめようもないのがもどかしい。もし望むなら、叶うなら全力で匿うので日本に逃げてきてほしい。

 

ロシアの大半の市民も望んでいないウクライナ侵攻。

 

どれだけAIが多用されスマホであれこれ出来るようになり文明利器が発達しても、その時代を生きる人間は相変わらず好奇心旺盛で温かく愚かで野蛮で変わらないと思わされる。第二次世界大戦から80年弱経っても人類に進歩はなかったことを証明するかのような隣国の愚行。50年前、100年前の人間よりも優れた人間になったなどと思ってはならないのだろうな。