Caffe Lunaで展示販売されていた吉永サダムさんのマグカップが気に入った。そこにいた常連のミュージシャンの方も吉永サダムさんを褒めちぎるので、これは工房にお邪魔しするしか無いと思った。カフェの女主人が工房に鎬のマグカップがあるかと電話してくれ、工房にはたまたま無いと言うのでこちらのカフェで一つ買っておくことにした。もう一つ、店で使われている細い鎬が入ったマグカップがあってそれが欲しかったのだが、女主人がお気に入りだそうで譲るわけにはいかないとのこと。不躾なお願い失礼しました。
光沢のある売物よりもマットで釉だまりとのメリハリがついている品だった。残念。吉永サダムさんが15時以降は工房に戻っていることも確認して頂いた。
ワンマン1両編成のローカル単線。のどかだ。躑躅が満開で絵になる光景。
駅前の風景。コンビニも何もない。誰が駅を利用しているのかもわからないぐらい。
有田川が流れる。それにしても抜ける空の高さと青さよ。
この見晴らしの良い直線道路で何がどう飛び出すのを注意しろというのだろう。
駅から10分ほどの距離の民家の中に工房はあった。昨日電話で連絡させてもらった者ですと伝えると快く迎えて下さった。優しい印象の40代半ばの方だった。
電動轆轤が見える。そして棚板には無数の作品が並ぶ。
私の作品も見せ、鉄絵に関して助言を頂いた。鉄絵は還元焼成する際には、とりわけ焦げもせず飛びもせず鉄が結晶化する丁度良い温度帯「中火」が狭いのだという。もっと鉄を表面に浮かび上がらせるには厚く塗ると出やすくなるが完全にコントロールするのは難しいそうだ。
鬼板は荒い粒子のまま擦り、さらにカオリンを1〜2割ほど足すと鉄がもっと出るのではないかとのこと。ありがたい助言だ。早く東京に戻って助言を実行してみたい。
サダムさん自身は量を作れる作家だと自負してらっしゃるそうだ。数を作れるからこそ試行錯誤を繰り返す頻度も上がるし技量も上達すると。個人作家の壁は生産力だったりもすると聞く。どれだけの作品を手際よく作れるか。
私が惚れたのがこの片口の右手にある黒。店には出してない品だそうだ。素焼きで余った素焼きの片口を登窯で焼く機会があった際に入れ、さらに灯油窯で2度焼成した特別品。同じ窯で同様に焼いた作品は2点しかないという。こだわりとしてはそれまで指で片口の部分を成形していたのを筆の柄を使って細身に仕上げるようにした初号なのだという。
これで日本酒を飲んだら美味しさ2割増し。香りが膨らむ芳醇な日本酒が合いそう。
サダムさんの定番シリーズの内側が粉引、外側が灰釉で黒くなるもの。灯油窯でないとこのようなマットな風合いにはならないのだという。しかもドブ漬けして引き上げる際の僅かな偏りで厚く掛かった箇所が灰色に発色し、それ以外が焦茶色に残って個体ごとに異なる個性が出る。このムラも彼の作品の個性として必要な要素。
面取りのマグカップは厚くなりがちだが、彼のマグカップは薄くて軽い。彼の造形のこだわりは世間では8面が多い中で10面にすることで薄造りを可能にし、面幅が細くなることで見た目に軽やかさが出るとのこと。なお取手が付いた面は歪まないように面取りしていない。
陶器のソーサーだとカップを置いた際にカチンと硬質な音がして気持ち良くない。そこで友人の木工作家さんに木のソーサーを作ってもらったのだそうだ。硬い音がせずにカップを受け止めてくれるので安心感があってさらに寛げそう。
私はリムの立ち上がったソーサーに疑問を感じていた。中央の窪みにスプーンが滑り落ちてしまい、カップを下ろす際にスプーンをどけないといけないと面倒だ。その話をすると「そうだよねー」とかなり共感していただけて盛り上がった。そんなわけでサダムさんのソーサーは幅が広くスプーンが邪魔をしない形。さらに最近は陶器のソーサーは中央の窪みを作らなくなったという。中央の窪みがあるとソーサーであると主張しすぎるので小皿として使えなくなるからだと。なるほど。
これに決めた。暗い色の木のソーサーも中央に窪みのない陶のソーサーも買った。
東京や仙台、名古屋など各地のギャラリーで販売される作品には内粉引の片口などが多いと言う。プロの陶磁器販売店の目利きによればサダムさんの作品の中で最も高く評価されている作品スタイルは内粉引の器なんだろう。私は世間の評価を元に購入しても意味がないので好きな作品を選ばせてもらったら黒や灰色のものばかりになった。
見せて頂いた非売品の一輪挿し。8つある登窯の炎道に1つしか置けない貴重な品。面取りされた面ごとに異なる色で焼き上がって魅惑的な作品になっている。一方向から灰を被ることでこうなったのだろうがご自身でも再現できていない偶然の産物だそうだ。
これを見てみなよ、だとかこれは意図はこうだったのにこんな風に失敗してしまったんだよね、だとかトンボを10年ぶりに新調して2mmサイズを変えたんだけれども印象がかなり変わったね、などあれこれ披露してくださってとても楽しい。
椅子に座って、サダムさんからも東京の陶芸工房ってどんな設備なのかだとか、どういう釉薬を使っているのかだとか、益子の窯業はどんな感じなのかなどいろいろ聞かれた。
佐賀の観光業の課題だとか話は尽きなかった。魅力的な観光資源はあるのにそれを統合して提示できていない。黒澤明の記念館を作る話が持ち上がってぽしゃったり、大企業を誘致する話も結局流れたり。詰めが甘い、実行力が弱い。
作業場も案内してもらった。
大学時代に調合したレシピで弟弟子さんもサダム黒という名前で作っているそうな。サダム黒αなんてカッコいい。プロレスの必殺技の名前みたいだ。
最後に窯場を見せて頂いた。こちらがガス窯。
そして屋外にあるのが灯油窯。年に一度、煤を掃除しないといけないという。黒煙が激しく出るので通りがかりの人が心配して通報したこともあったとか。都会では運用できないのがわかる。しかしサダムさんの作家としての個性のある作品は灯油窯でもっぱら作られる。
結局、1時間半もお話の相手をして下さった。快く迎え入れて相手をしてくださったサダムさんに感謝。高円寺に熱烈なファンができましたとお伝えしたい。
モノづくりはモノだけで評価されるべきという考えもわかる。某美人作家の作ったやつとか、そういうものが持て囃されるのに違和感を感じる。しかし作家の人柄が好きになり、「あの人の作品」と思い入れが増すのも事実。サダムさんは作品も人柄も実直で好きになったというだけの話。誰に押しつける気もない。
一人旅の醍醐味は人との出会い。好き気ままに予定を変えながら好きなことに目一杯、時間をかけられることだと思う。