杉の巨木林の合間の苔むした石塔
五輪塔と鳥居
宗派も出自も問わない供養の霊場
日本の大企業の物故者供養塔も数多い
世間が忘れようともここだけは忘れずに供養しつづけてくれる
聖地でも血生臭い争いは避けられず
かつては3万の僧兵で武装しており比叡山同様に信長に滅ぼされかけたが本能寺の変後に秀吉に服従して生き永らえた
明治政府の命令で統合されるまで学侶、行人、聖の三派に別れ、時に諍いあってきた
聖域だけれどもその歴史からして無条件に僧や権威を絶対視すべきでも無いとも思う
随分と久しぶりに新幹線に乗った。幾度となく群馬と上野、神戸や京都と東京を行き来してきたはずなのに新幹線が怖いと思えるほど速かった。皆が当たり前に新幹線に乗っていることが凄いと思えてしまう。
さて、リニアモーターは必要なのか。こんなに速いのに既に何十年も昔からの技術なのだよな。新大阪までさらに短い時間で行けたら便利なのかもしれないがテレワークやらWeb会議の普及でそこまで人が行き来する需要が維持されているのかも不明。10兆円以上の総工費は有意義なのだろうか。
朝5時起きで地下鉄丸の内線で東京駅に向かい新幹線で新大阪へ、そこから御堂筋線、南海鉄道を乗り継ぎを重ねて6時間かけて高野山駅に到着。さらにバスに乗って奥の院から高野山巡りを始めることにした。
奥の院は地域全体が巨大な墓地だった。弘法大師の眠る地に身を寄せるように戦国時代の大名から近現代の企業、個人までの供養塔や墓所が集う。
地=四角、水=円形、火=三角形、風=半月形、空=宝珠形の五輪塔、しかもなかなか見たことのないような巨大なものが林立する。
苔むした古いものは殆どが江戸時代初期の大名家のもの。秋田佐竹家。
加賀前田利長ともなると家ではなく個人で建つらしい。加賀前田家が百万石を超えたのも利家の長男、利長からで利家は関ヶ原の前に亡くなっている。ある意味、徳川家に次ぐ大大名であることを考えると納得がいく。
巨大な五輪塔が並ぶその中で武田信玄と勝頼の墓は簡素で慎ましい。巨大な供養塔を建立する財力のある家そのものが無くなっていたからかもしれない。
理不尽や不運に絡め取られるようにして翻弄され、亡くなっていった戦国武将達、体制の勝者側、敗者側、分け隔てなく弔われている。
この巨木と苔むした石造りの取り合わせは水槽の中に取り込めないだろうか。
忠臣蔵の題材となった赤穂事件の浅野内匠頭の墓所。遺体は高輪泉岳寺に埋葬されたそうなのだが、多くの大名同様に高野山にも分骨され供養されているようだ。
樹齢1000年を超える杉の大木が立ち並ぶ合間に苔むした巨大供養塔が林立する。実に私の好みな空間。
結城秀康の場所。徳川家康の次男として生まれながらも豊臣秀吉の養子に出され、秀吉に実子ができると結城家へ養子に出された苦難の人。
高野山は天下の総菩提所と呼ばれ、宗派を問わず供養される。関東大震災、兵庫淡路大震災、東日本大地震などの天災の被害者の供養塔もある。
日々移ろいゆく生活の中で東日本大震災のことも熊本地震の被害者のことも私の意識からは全くもって消えていた。ここ高野山で今も昔も彼らのことが忘れられずに供養され続けていることなど全く知らなかった。
世界平和も祈祷されているが今もウクライナでは民間人が拷問され、レイプされ、殺されている。この高野山の山奥での祈祷があってもなくても事態は変わらないだろう。祈りの実効効果なんてのは無いと思っている。
多くの戦国大名も、あの武田信玄の家臣達も高野山に足を運んで供養し祈願して、その後戦に負け根絶やしにされた。祈祷に効果があったとは思いがたい。高野山の祈りは何の意味があるのか。
殆どの人が日々、いろんなことを忘れながら生きているのに対し、特別な人、身近な人を失った人はそうはいかない。世間から忘れられていくことに仕方無い気持ちと寂しさを覚えるだろうが、高野山で忘れられることなく供養されていることは残された人にとって大きな救いになるのではないか。宗教の祈りは現在や未来に積極的に働きかける存在では無いのかもしれないが、起きた惨状や辛苦の癒し手なのか。
そんなことをぼんやりと考えていた。時間が経ち、自分の環境も変わればまた私の認識も変わっていく気がする。
シロアリ駆除業者によるシロアリ供養まで宗派も組織も問わず供養される。日産自動車、パナソニック、ヤクルトなどなど数多くの企業の物故者供養塔もある。
山椒アイスクリームを食べ歩く。山椒の粉を普通のソフトクリームに掛けて食べる。これなら自宅でも山椒を粉にしてハーゲンダッツに掛けることもできる。
金剛峯寺へ。
内覧できるのだが、目ぼしい史跡として豊臣秀次自刃の間がある。秀吉の姉の子である秀次は天正19(1591)年、実子のいない秀吉の養子となり、関白を引き継いだ。しかし秀頼誕生から2年足らずの文禄4(1595)年7月に失脚。高野山へ追放され、同月15日、金剛峯寺の前身である青巌寺で切腹したとされる。豊臣秀吉の命による切腹ではなく秀次による抗議の切腹だった説もあると言う。
秀吉が生母の菩提寺として寄進した寺で秀次が切腹した後で秀吉は秀次の妻子を処刑している。これは生母の菩提寺を汚されて立腹したからだとの新説も唱えられているそうな。天下統一支配者の後継者の妻子ですら殺される側に回る先の読めなさと理不尽さ。
探幽筆の襖絵など鑑賞できるが撮影禁止。大広間を飾る狩野法眼元信筆の金箔押しの群鶴図が素晴らしかった。
千住博画伯の奉納した襖絵は写真撮影自由とのこと。
見慣れた滝の襖絵。
この写実性のある断崖の襖絵は初めて見た。
立体感がリアルすぎて奇妙な感覚に陥る。
歩いて数分の壇上伽藍へ。ここは重要な法事で僧が集まる堂だという。
高さ50m。私の想像よりも遥かに大きかった多宝塔。内部は5如来坐像と16の柱に描かれた菩薩が立体曼荼羅を構成する。
僧侶の質の劣化を憂い、僧侶の研鑽を奨励するために御最勝講義(みさいしょうこう)と呼ばれる問答、論議が行われたという。右学頭、左学頭という最も優れた僧が選出され、寺院の名誉を掛けて行われる。
ここ山王院で前日から夜が明けるまで延々と議論が交わされ、見識の深い僧の判定によってどちら側の僧の弁が正しかったかが決められたという。
議論に負けた僧は高野山からの下山を強いられたそうだ。僧としてのキャリアの終わりに等しい。
相手を恐れて議論の前に相手を襲って講義自体を成立させなくするような事件もあり、顔を隠すようになったそうだ。
議論に負けるも下山を受け入れられず自殺する僧もいたそうな。
そこまでの過酷な行事は誰の発案なのだろうか。堕落を正すためとは言え極端。
現在でも議論の儀式は続けられているそうだが古語でのシナリオに沿った再演でしかないそうだ。現代語で激しく議論したら良いのに。
現代における多様化した社会における密教の存在意義を。
高野山の寺院が学識や能力ではなく血統で継がれるように変わったことの是非を。
遺伝子工学や中絶の是非を。
近世まで女人禁制だった高野山の歴史に照らしたLGBTQの是非を。
かつては鎌倉幕府の庇護を受けた将軍家菩提寺の金剛三昧寺は禅宗寺院だったり、それに対して金剛峯寺は真言宗だったりと宗派対立もあったらしい。時の権力者の庇護を受けた政治争い、代理戦争。
最近では寺の資産を金融商品で運用して損失を出している時期もあることが発覚して管長の不信任決議がなされたりもしている。
伝統が守られる厳かな霊場であり弔いの場ではあるけれども、人間はどこまでも人間なのだとも思わされる。
カモシカが現れた。その距離、10m足らず。こんなに間近で見たのは初めてかもしれない。ずっとこちらを見つめていた。
日が暮れてくるとまた神秘的な雰囲気が増してくる。
日が暮れてライトアップされる大塔。星がよく見えた。
冬には-10℃になる修験の場でもある。修行僧は暖房もなく、始終赤切れに悩まされ、動物性蛋白質も食べないので治癒されない指先は黒く変色していくのだという。
日に108回撞かれる梵鐘。金剛峯寺の僧侶が撞くという。本山があって周囲の塔頭の僧侶が交代でお勤めしているのではなく、金剛峯寺所属の僧が全て執り行っているそうだ。
御詠歌もお願いしたのだが流れるようなため息の出る達筆。