友人を訪ねて回る旅 京都の古刹泊で鮎と空豆に舌鼓

 

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今回は古くからの友人に会って回る旅になった。和歌山出身の大学同級生の地元にお邪魔して次の仕事に関連する人を紹介してもらい、京都では15年ほど前から親しくさせて頂いている住職のお寺に泊めていただくことに。

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さらには日帰りで神戸の元同僚宅に会いに行ったり、高野山壇上伽藍の大塔に大曼荼羅図を描かれた仏画師の友人と夕食を食べたりとこんなに人と会うことを目的にした旅行はしたことがなかった。自分は人付き合いが淡白で薄情な方だと思っていたけれども、見渡すと快く迎えてくれたり新たに人を紹介してくれたりと有り難さが身に染みている。なんだかんだ、自分は幸せ者だなと思った次第。(放牧してくれる妻はもちろんのこと)

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庭先で炭火をおこし、採りたての空豆を焼き、鮎を炙る。なんだかお高い料亭に食べにいくよりもこういう歓待が最高に嬉しい。

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一緒に竹を割って先を尖らせ、鮎を刺し、ヒレや胴に塩を振る。

京都の人の方が季節の取り入れ方、楽しみ方が上手なように思う。私も自宅でも鮎を焼こうか。

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空豆を食べた後はさらに鮎を火に近づける。
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焼き鮎を半分食べ、残りの半分は土鍋御飯に。f:id:mangokyoto:20220511114431j:image

泊まらせて頂いたのは離れ。
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1階は苔庭の見える茶会のできる水屋も備わった広間で私には持て余しすぎる過分なもてなし。

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あるがまま

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朝、5時過ぎに起きて5時半から勤行に参加させていただき、御堂の軒下に脚を組んで庭に相対して座禅。

 

清々しい。

 

座禅はどこだってできる。住職はフィリピンの青い海の前でも一緒に読経し座禅して下さった。朝、1人で座禅して心を落ち着けるというのも始めたら良い習慣かもしれない。

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結局、至れり尽くせりお世話になってしまう予感があったのでどうお礼をしたものか。京都の名刹ともなると檀家さんからのお供えものやらを頂くことも多いだろうし何を買っていってもいまいち気持ちは伝わらなさそうに思える。自分ができる最善を考えた末に辿りついた答えはこちら。

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450年の古刹の方が我が家に置くよりも遥かに収まりが良い。住職も未年だし。

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翌朝には座布団を敷いて下さっていた。


貴賓室のような贅沢な宿に全く価値の足らん物納で申し訳ない。しかも、もう一泊ぐらいしていったらというご提案に二つ返事で甘えて2泊してしまった。

 

ぶぶ漬けを勧められたら、さらにおかわりまでいただくような人間だ。

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以前は井戸から水を汲んで雑巾掛けしたり苔庭の掃除をしたりご一緒させてもらったが今回は雨だった。

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