石巻 再訪 東日本大震災津波伝承館と震災遺構

奥州平泉では藤原家四代の栄華よりもそれが滅びた跡の寂しさを強く感じたし、石巻といえば東日本大震災津波からの被害を最も被った地だ。廃鶏を潰して「命をいただく」食育のイベントも目の前で野生の命を奪う鹿猟もあった。今回の東北の旅は死にまつわることを想起させられることが多い旅となった。

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計2泊したのは石巻のゲストハウス。津波によって建物は壊滅した地区に建てられており、地階は駐車場になっていて高床式の2階に共有リビングと客室がある。
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サーフィンやSUP、ダイビングなどのマリンスポーツの拠点でもあるらしく、宿主はインストラクターも兼任しているそうだ。
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エコ、環境負荷の少ない生活を推奨している。
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11年前の2011年7月に石巻の復興ボランティアで泥掬いに来た。連日、ひたすらシャベルで泥を掬い、土嚢袋に入れて運んでいく作業だった。そこが具体的に何処だったのか覚えていないが海岸から近いどこかだった。今現在、GoogleMapで見るとまだ復興しきっていない印象を受ける。建て直すモノがなく土地が余っている印象。再び津波が被る場所には最低限の設備しか置かないのは正しいことでもある。


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牡鹿半島は山藤の最盛期だった。
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地元の芸術家による作品が点在する。
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夕日に山藤にラピスラズリのような群青の美しい光景だった。
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防波堤がひたすら続く。一定の強震を感知すると自動で閉まるらしい。ということは外側に人がいるから締めるのを待つだとかそんな判断はされないということか。守られるのか締め出されるのか。
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牡鹿半島周辺はリアス式海岸で急峻な山から栄養が流れ込み帆立や牡蠣の養殖に適した豊かな海を持つ。
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牡鹿半島の後山荘という料理民宿にも1泊した。客は私1人だけとのこと。
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風呂もいつ入っても貸切状態。露天風呂こそないものの漁港が眺められる気持ち良い風呂だった。
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たった1人分でこの刺身の量。東京なら4人前の刺身盛りではないだろうか。ソエ、帆立、蛸、ハマチ、烏賊、鯵とどれも新鮮で美味しい。
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ホヤの酢の物。
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ワタリガニに米烏賊。
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イシヅキの焼魚と言っていたか。地方だと魚の名前はかなり異なるのでよくわからない。
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揚げたて、焼き立てで出てくる。
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牡鹿半島で採れた牡蠣のフライ。途中で揚げたてを出してくれるので最高に美味しかった。しかも5個。

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そしてサービスですと言って蒸し牡蠣をさらに5個も下さった。身が肥えていてこれだけでもかなり量がある。どれも美味しいし、命を奪っている以上、お腹いっぱいだからと残すわけにはいかない。白米に一切手をつけず、1時間半かけてなんとか食べきったが深夜まで腹が苦しかった。

 


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最終日、「みやぎ東日本大震災津波伝承館」へ。

歴史上、繰り返し津波被害を経験して石碑も建てられていたのにその教訓が生かされてこなかったことへの反省とその記録。
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門脇小学校という津波地震火災の二つの災害跡を残し震災遺構として保存されている。良いという表現は不適切だが時間を割いて訪れるべき場所だと思った。
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福島原発を題材にした映画「ふくしま50」を観た。震災のノンフィクション本を読んだ。

 

東工大出身で応用物理学専攻の菅直人首相という歴代首相の中で最も原子力に詳しいと自負する首相の元で判断間違いが重ねられた。付け焼き刃の知識で知ったかぶりで口を出したのが問題なのか。

首相が12日に福島原発を訪問することで現場は対応に追われ問題が悪化したと聞く。

その一方で首相が東電を訪れたことで官邸まで上がってこない膨大な情報があることが確認され総合対策本部の設置に繋がった。

 

必要な情報が十分に集まらない混沌とした状況下で最高意思決定者が現場視察をすることは否定されるべきなのだろうか。部下からの非正確で希望的観測に溢れた甘言に踊らされてウクライナ侵攻を決断したとも聞くプーチンの例も考えるとわからなくなる。

問題は現場の情報が意思決定者に伝達されない状況であって、そのような状況で現場に状況把握に赴く必要はあったのではないかと思う。その上で間違った判断をしたのは判断能力に関わる別問題ではないだろうか。
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原子炉への海水注入を官邸は中止するよう命じた。吉田所長はそのような指示が来ることを見越して事前にそのような指示を皆の前で出しても従わないように部下に根回しをして政府の指示を無視して海水注入を続けた。

 

仮に海水注入が致命的な問題に繋がりより大規模な放射能拡散に繋がっていた場合、正しい指示も実行されない危険が潜んでいたことになるし、それを感知し防ぐ仕組みもなかったことになる。

海水注入は吉田所長による日本を救った英断と言える命令無視だとされているが、言い換えれば官邸が原発の暴発と東日本全域の放射能汚染の瀬戸際で致命的な誤判断をしていたことになる。このことが何とも恐ろしい。政府官邸の判断能力があてにならないしこれは民主党の問題のようには思えない。

 

しかしさらに困惑させられるのは海水注入したものの海水のほぼ全てが抜け穴から漏れて原子炉に届いていなかったことが2016年9月7日の国際廃炉研究開発機構による発表で明らかにされたことだ。

 

政府の判断は間違えていた。しかし吉田所長の対策は解決に寄与していなかった。二重、三重の過失や不備で大惨事は起きたが二重、三重の幸運で東日本全域が放射能汚染される事態は紙一重で回避された。そういうことなのか。

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津波火災で焼けた門脇小学校。
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災害時に子供たちの安全を考え判断して動く大人たちに生き様を教わって教師を志したと語る当時の子供たち。救うことで救われた大人たち。
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津波が被った高さを残す黒板。

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5年に1度、子供たちで作り替えられるという「がんばろう!石巻」の大看板。これにより教訓が残っていく。建築技術や文化伝承に繋がる式年遷宮のようだ。

 

30年以内に70%以上の確率でM7の首都直下型地震が起きるという。いつ起きるのか、自分は誰かを救えるのか、死ぬのか。悔いなく対応できるように考えて生きていきたい。