高円寺で一番の蓮寺と聞かれて思い浮かべるのはここ「長善寺」。
もう盛りは過ぎてしまって蜂巣になっている鉢が多かったけれどもいくつか美麗な花を拝めた。
墓地の裏手に回ると蔵の壁に見事な鳳凰の鏝絵。その下に蓮が咲き乱れていたらさぞかし美しい光景だったに違いない。
苦手な人には苦手らしい。
近景
遠景
今回、心動かされたのが葉の美しい枯れ方。緑から葉脈の構造を想像させるような形で浸食するように黄色に、そして茶色に変色していく。
こんな蓮の葉の移ろいを6枚の連皿、組皿に落とし込んだら面白そうに思う。
ここまで周辺が枯れながらもそんなことも気に留めないように生命力を保つ中心部。葉が全て黄色になり、茶色になっていく訳ではない。全面が緑の葉よりも印象的で美しく思えた。
蓮は仏教で人生の例えに使われる。泥の中から葉を茂らせ美しい花を咲かせ枯れてゆく。
葉を一つとっても「枯れ」が「老い」だとしたら広範囲の葉の緑が失われようとも芯となる葉の美しさは失われることなくむしろその対比からより輝き引き立つ。若さに根ざした能力は失われていってもその人を特徴付ける中心的な能力や魅力のようなものはむしろ引き立つ。そうなるように生きろ。そういうことを暗示しているのか。