観滝台の脇を歩いて降りていく。車は乗り入れられない。
- 秘湯好きは一度は押さえておきたい湯。
- 遺跡廃墟好きにはたまらない風情。
- どう改修したら魅力をひき出して蘇らせることができるかを夢想すると楽しい。
- 猫が人懐こい。
- テルマエロマエ聖地巡礼湯。
- 到着してがっかりし、去る頃には好きになっている不思議宿。
学び
- 古かろうとも清潔感は必要。錆びていても禿げていても風情として活かせるがホコリ、虫の死骸、土や葉などの有機的な汚れは掃除すべき。
- 素材が良ければお金をかけずに魅力を上げる余地は沢山ある。
- 古い木造建築はモノを少なくスッキリとさせるのが肝要。
- うるさい原色は極力排除。無地にして種類や形を統一する。
えらく無愛想な接客だとか、清掃が行き届かず不衛生な風呂だとか、老朽化しすぎている設備だとかあれこれ口コミに書かれているのでどんなものかと身構えていた。
若い学生のような女の子が番頭をしており、部屋に案内してくれた。宿の娘さんと思われる。
通されたのは6畳間の薄暗い部屋で湿度を感じる。畳は波打っていて傾いている。三斗小屋温泉大黒屋の後に泊まったのは間違いのように思えた。山間部の日照の悪い木造旅館だと仕方がないのかもしれないが、薄暗くジメジメした古い木造家屋は陰鬱さがある。
もっと良い部屋がたくさん空いてそうだから変えてもらおうかと思って隣の部屋を覗いてみたら、隣の部屋は窓ガラスが割れてガムテープが貼られているぐらいなので私が倒された部屋は一人客としてはそれなりの部屋だったようだ。4.5畳の部屋もあった。
色のついたカーテン、100円ショップで買ったような統一感のない色のゴミ箱。せめて焦茶や黒の無地にすれば良いのに。ちゃぶ台も94年製のものだが古びて侘しさはあるが経年変化の情緒はない。無垢材の机なら味も出たのだろうけれども。
急須はひび割れていてお湯が卓上に染み出してきた。湯呑みも欠けている。まさかここまでとは。
これは快適な宿としての楽しみ方をすべきところではない。無論廃墟などではないのだが、廃墟好きとしてそんな要素を探して楽しむ。写真撮影を楽しむ。古色を残しながらどう改修すれば蘇るかを夢想する。楽しみ方のスタンスを変えることにした。
そうなるとワンダーランドに見えて来る。
館内を歩く。カーペットは痛み、ところどころに穴が空いていたり塗料が剥げていたり壁材が剥離していたり。手入れする余裕がないのか、手入れする気がないのか。コロナ禍のここ数年で生じた劣化ではないように感じる。どうせスリッパを履くことを前提としているならば古びると不潔でみすぼらしいカーペットはやめて床は全てコンクリート三和土のようにすればよいように思う。
この入り組み立体複層構造は悪く言えば分かりづらく、良く言えばファンタジーの世界でワクワクする。
昔、クーロンズゲートという九龍城を舞台にしたゲームがあった。あの世界観が好き。
戦後で時間が止まった気がする。
この迷宮のように階段が入り組んだ館内も照明の光源の位置を工夫したらさらに迷宮感が出て面白い。そういえば御船山楽園ホテルの老朽化を逆手に取った廃墟デジタルアートは秀逸にだと思い出す。
「河原の湯」は宿泊客専用のようだったのでまずはこちらから入る。湯船の底がヌメヌメとしている。このヌメりは掃除して欲しい。
人口の滝なのだが低木が邪魔をして川面が見えないのはなんとも勿体無い。低木を切るだけならば費用はかからないはずだ。
湯船の先に湯が流れている岩肌があるのだが、ここにゼログラビティチェアを2、3個並べて滝と川を眺め、木々と山を眺めながら寛ぎ「ととのう」休憩スペースを設けたら素晴らしいのではないか。サイドテーブルが置かれて飲物を飲んだりKindleを置けたらもはやスパリゾートだ。背中をお湯が流れる寝湯でも良い。コンクリートの壁は下地パネルを掛けて苔で緑化したい。安上がりに「ああ自分もここで寛ぎたい」と思わせられる魅力的な光景を作れそうに思う。
建物の周囲を散策する。ゴミが多い。粗大ゴミ、不燃ゴミは処分が面倒なのはわかるがどう経年しても味は出ない。
外灯のシェードが錆びたら味わいになるが、壊れたアンテナやコードやら針金やらが放り込まれているのは味わいにはならない。
ブルーシートや赤いビールのプラケースなどの原色も目障りでしかないのでどこかに仕舞い込んでほしい。
その一方でこの無軌道の運搬機はもう動かなくとも置き方次第で絵になる。
使っていない建物もせめて障子を張り替えて夜にLED裸電球をいくつか点けるだけで宿の非日常感を劇的に盛り上げられるように思う。
屋外に温泉プールがある。温泉藻や泥の堆積でヌメヌメとしてネットで不評な施設だ。しかしこうして時折、清掃もしてくれているようだ。
この温泉プールの周囲が作為では生み出せないような素晴らしい苔絨毯で覆われていた。
湿度や日照など条件が合わないと手間暇かけても苔は育ってくれない。こんなに見事な苔が放置されて育っているのだから苔には理想的な環境なのだと思われる。この苔を是非活かしてほしい。
ここまで苔むして朽ちるには何年かかったのだろうか。撤去しなかった美学に脱帽。
広大な温泉から立ち昇る湯気越しに観る旅館の風情は美しい。
これがさらに魅力的に映るのは夜なはずだ。残念ながら夜は建物も真っ暗で何も面白味のない光景だった。LED型裸電球で湯屋や建物を照らしたら幻想的な光景になるはずだ。背景に山を背負ってポツンと1軒の幻想的に浮かび上がる温泉宿。山形銀山温泉の能登屋のライトアップが温泉好きなら一目でそこだとわかるようにアイコニックな光景になると思う。
いっそ、温泉ナイトプールと時代もののコスプレと写真撮影会のイベントでも開けば良いのに。
この宿のシンボルとも言える「天狗の湯」。無加水、無加温の源泉掛け流しの湯が渾々と湯船の外へ溢れて流れ続ける。お湯の温度も熱すぎることなく気持ちが良い。テルマエロマエのロケ地にもなったそうだ。
脱衣所から湯船への動線が自炊室方向から丸見えなのが少し困りもの。女性にはしんどいのではなかろうか。混浴文化維持に矜持があるなら否定はしないけど女性専用時間はあっても良いのでは。
迫力の天狗面。天狗の湯が子宝の湯とされがちなのはその天狗の形状に由来するのだろうか。
天狗の湯の奥に打たせ湯がある。なかなか強い水圧の滝湯で湯温が熱めなのが素晴らしい。足の裏に当てたり腰に当てたり、指圧代わりになる強度。しかも湯が熱く量も多いので体が冷えない。もう少し浴室を明るくしてくれたら良いのだが。そして入口床のヌメヌメを掃除してくれたら。
コロナのせいで客が減り、現在は食事を提供していないそうだ。従業員も皆解雇してしまった。安定した予約数が続かないと仕入れや仕込みができないし、人を雇えないとのこと。週末やハイシーズンだけでなく継続して雇える見込みがないともう別の仕事に就いてしまったパートを呼び戻すことも新たに雇うことも難しいのだという。
こちらが炊事場。
年季の入った調理器具が積み上げられている。
予約の際にも「うちは湯治宿ですので食材を全部持ち込んで頂いて自炊してもらってます」と念を押されたのだが、実態としては食事を出せなくなったので自炊場があるので湯治宿=自炊と強調して宿泊客を取り続けているだけのようにも思えた。
セブンイレブンの1分湯戻しのカップ焼きそばを持参したが選択を間違えた。一平ちゃんかペヤングにしておくべきだった。ちと侘しい。
何せ自炊しても食べる場所がない。設備が自炊式湯治宿を想定した作りにはなっていない。長い廊下を歩いて客室に持って行って食べるのは抵抗感のある客もいそうだ。
開き直って自炊を売りにしても良いと思う。ただ、食材を客が持参するのはしんどい。米や馬鈴薯や人参、玉葱などの日持ちのする根菜類とカレールー、シチューのルーなどを取り揃えて食材購入式にし、各自で調理して食べてくださいでも良いのではないか。蕎麦、ラーメンなどを置いても良い。
古びた漆塗りの御膳をたくさん安く買ってきて積み重ねておき、宿泊客にそれに自炊した夕食を載せて今は使われていない風情ある食堂広間に自分で運ばせて食べてもらうのでも面白いように思う。各種スパイスやハーブを取り揃えておいて、客に好きに味変して遊んで貰えば良い。逆手に取って面白味や目玉にする余地はありそうに思う。
娘さんに情熱と想像力を持った婿さんが見つかって次の世代が盛り立てていって欲しい。温泉としての魅力的な素材に恵まれているので蘇るはずだ。「九尾の狐」という地元の魅力的な物語をもっと取り入れても面白いように思う。