蚕がさらに好きになった。お白様。また精度を上げて蚕蛾の陶蟲夏草鉢を作成したい。
群馬黄金という黄金の絹糸があることを知った。
日本の近代化と富国強兵を支えた絹糸輸出産業を115年の長きに渡り支えてきた富岡製糸場。世界遺産に相応しいのかはよくわからないのだが日本の国家的財産と言える文化財なのは納得。
しかし1950年以降、絹糸価格が暴落し化繊の台頭もあって衰退したという説明が強く印象に残る。
もっと絹糸輸出がどれだけの外貨獲得に繋がったかであるとか、西洋列強の植民地化に怯える日本にとっての少ない有望な産業であったか、また富岡製糸場やその近辺がどれだけ栄えたのかなど隆盛期の様を伝える展示があっても良いのではないか。
繭玉の詰まった保存袋。
味のある落書き。
官営、原、三井、片倉と所有者を転々としてきたが三井時代が1日11時間のブラック労働期でその後、片倉家時代に8時間に制限されたようだ。
古色あふれる壁を背景に美しい花々の展示。
なんとこれらは全て繭玉を使った造花なのだという。
シルクの光沢もあって本物に見間違えた。
今も絹糸は生産されているそうで、その工程ではじかれた不良繭玉が持ち込まれていた。
不良繭玉とはいえ、中には成虫になる日を迎えずに熱殺された蛹がいる。昔は煎って食べたり、油を絞ったり、魚の餌にしたり畑の肥やしにしたりと使われたそうな。そのままでも食べられるが苦いらしい。
役職者の宿舎も残されていた。
まるで昭和中期のサザエさんの舞台のような佇まい。
何故か子供達は、昔はチャンネルは回して変えるもので、コタツからでも動かずに変えれるようにチャンネルを変える棒まで売られていたことを知っていた。
女工の待遇は官営の明治初期で以下の通り。
等外上等工女 3円
一等工女 1円75銭
二等工女 1円50銭
三等工女 1円
月給3円で現在にして6万円相当だという。えらく少なく感じるが、宿舎も食事も無料で出されることを思うと完全に自由にできる金として6万円が残るならば悪くないのかもしれない。
しかも独身の若い女性が最長3年の有期雇用されていたのだそうだ。雇用期間延長は無し。10代後半の若い女性ばかりだとしたらそんな女工哀史というような待遇ではないように思う。
群馬黄金という黄色味を帯びた蚕の品種があることを知った。育ててみたい。
富岡製糸場を舞台にした小説やドラマは無いだろうか。探してみたい。