2022年W杯。挑む。

金曜日は朝の6時台から仕事のメールが多かった。興奮冷めやらずで早朝から働き始めた人が多かったのだろう。

 

夕方、スペイン人、ドイツ人、イギリス人と一緒の会議があったのだが、一番上役の人がやっぱりサッカーのこと話さないわけにはいかないよなーと口火を切ったので、当然ドイツ人は予選敗退を嘆き、スペイン人も試合の負けを嘆き、あの日本の決勝点となった物議を醸したVARの話になった。うちの国では大騒ぎだよ。あれ、正直どう思う?と。

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お前、その話したら終わらなくなるぞ。と誰かが言う。上役のイギリス人が1マイルは余裕で線の中に入ってただろ、と部外者の余裕で茶化す。

日本はバブルの頃のように驕らずに、戦後や明治維新の頃のように格上に挑む姿勢である時が良い。


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高円寺のカフェに寛ぎに行く。アメリカ留学時代の同志達という仲間が集まって平日は本業のある若い男性たちが週末に営業している「ウォルナッツカフェ」。国際色豊かな人たちが集まっていて楽しい溜まり場になっている。この人たちも挑む姿勢を持っていて清々しさを感じる。

 

家具作家さんの椅子かね。曲線が美しく構造が頑健。
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メキシコ、ニカラグアの珈琲を頂いた。とりわけ香りが立っていて美味しかった。
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5年後、10年後に2022年をどう振り返るだろうか。もうコロナの年ではなくW杯で楽しませてもらった年として振り返るだろう。そして1964年から60年近く経って再開催した東京オリンピックは私利私欲を満たす個人や企業がよってたかって喰い物にした60年の月日に精神的な進歩がなかったことが明らかになった年でもあった。それは残念。やはり謙虚さが失われると醜悪になる気がする。

 

エゴ、慢心、肥大する自意識。それらを如何に自ら自覚し抑制できるかは本当に大変重要だと思う今日この頃。自分を信じつつも謙虚な気持ちを忘れずに、というのは立派な人からの良く生きるための立派な助言というよりは実利から来る言葉だとも思う。