昭和初期当時は東京の西の郊外とされていた荻窪に建てられた洋式の下宿「西郊ロッヂング」。これが後に客からの希望もあって和室に改装され旅館となったそうだ。その本館は1931年竣工。今でも現役の宿泊できる旅館で子供達と泊まってみた。
ちなみに1938年に増築された隣接した新館は今も西郊ロッヂングとして洋風下宿として賃している。
戦前は中央線沿線には陸軍の施設が多く置かれ、とりわけ中野駅前には鉄道大隊、陸軍憲兵学校、陸軍中野学校などがあった。荻窪に至るまで練兵場が散在し、邸宅街だった荻窪にもかつては軍閥の邸宅は多かったそうな。
第二次世界大戦では零式戦闘機など多くを生産した中島飛行機の東京工場が井荻にあり、後にプリンス自動車、日産自動車の荻窪工場として転用されていきカルロス・ゴーンの時代に売却されたという。そんな背景から昔はプリンス自動車、日産自動車の社員が贔屓にしてくれ週に数回も宴会の予約が入っていたそうな。宴会用の旅館というのが実態だったそうだ。ご主人の口ぶりからすると当時はかなり賑わって忙しかったようだ。
そんなわけで建物の大きさの割には1階には宴会の大座敷が占めており旅館としては全12室と客室数は少ない。私たちを通してくれた「末広」の間は6畳間に8畳間の寝室の二間続きの広々した客室だったがここもかつては洋室2室だったものを和室に改装してつなげたのだそうだ。
昔は宴会をしてそのまま酔い潰れて泊まる客もいたのかもしれない。
ちなみにWiFiも高感度、高速で夜、一仕事させてもらった。
それぞれの布団に電気毛布が仕込まれ、加湿器もあって乾燥しすぎることもなくポカポカと暖かく思いの外、長く寝てしまった。
館内には資料館に展示されているような古い自販機が置かれていたりする。貝印の髭剃りなんて懐かしい。
コロナ禍では宴会や食事の提供を休止しているが、宴会場では毎月の句会や撮影会などに使われているという。
金庫も100円投入式。昔はテレビだったり、あれこれ100円投下式の設備が多かった。
こちらにも貝印の髭剃り自販機。
息子達には黒電話が珍しいようで、どうやって電話をかけるのか興味津々だった。「Youtubeで見たやつ!」とのこと。
モノが多すぎると思いつつも、あれこれ古いものを見つけると楽しい。
部屋の外には窓や庇をつけ建物の外観を模して館内に小さな街並みを作り出すのは古い旅館によく見られる。長野の「金具屋」もそうだった。
ご主人は3代目で2丁目で生まれ育ち、学生の頃から旅館を手伝っていた縁で婿入りされたのだそうだ。ご主人の父は獣医をされていたとか。
当時は住み込みの従業員がおり、奥様の祖母が旅館の経営をされていたとのこと。
経営されているご夫婦はもうかなりの高齢で若い働き手がいないと不便も多いと思われる。廊下には雑然とモノが置かれていて旅館というより祖父母の家という風情。躯体はしっかりしているのでモノも整理したらまたスッキリと古く整然とした姿は取り戻されることだと思う。
古い建物はあるていど整理整頓されていないと埃っぽく不衛生な印象が出てきてしまうが、モノが少なすぎて文化財の和室のように閑散としてしまうとつまらなくなってしまう。50年ぐらい放置されたままの日用雑貨があるとそれはそれで興奮する。程よいバランスが難しい。
出発の際に聡明なお坊ちゃんね、お行儀よくされてましたね、と何故か子供たちにそれぞれ図書券を頂いてしまった。やはり祖父母の家に来たのだろうか。
引き継がれていってほしい街の文化遺産。