赤坂迎賓館の鎧や兜モチーフ。

和モチーフを混ぜた日本によるネオバロック様式の宮殿。西洋的なものに日本的なものを混ぜた建築や美術工芸は好みだ。

 

子供にねだられて赤坂迎賓館と伝統工芸青山スクエアへ。

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10時開館と知らずに9時半に着いてしまい、赤坂迎賓館カフェで時間を潰すことに。
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すごい寝癖のままの子供。まあ、いいか。

 

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1909年に竣工した赤坂離宮大正天皇の皇太子時代の東宮御所、つまり住居としてその当時の建築、美術工芸を総動員して造られたそうな。列強に追いつくべく近代化を急ぐ時代。
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広々とした正門前の石畳の広場にはパラソルと椅子が並び、優雅で穏やかな気分。
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写真撮影は禁止されているのでwebから拝借。日本だって負けてないぞ、と背伸びしてただフランスの宮殿を模倣せずに日本が作ったことを主張するかのように和のモチーフを混ぜる。
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鎧、鎧、兜。
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こちらにも鎧。擬洋風建築に和のモチーフを忍ばせたそういう大正、昭和初期の工夫は見ていてニヤついてしまう。なんだかレアバージョンを引き当てたような高揚。
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長男が「こんな税金の無駄遣い、要らなくない?」「他の国に見栄張るよりもお金を必要としていたこと沢山あったんじゃない」と厳しいことを言う。

確かに重要国との外交の場の迎賓館として贅を尽くして建てられたのならば、近代化を急ぎ列強に国勢をアピールする必要からしても理解できる。

しかし皇太子の住まいとして建てられたのならば単に神格化された皇族の為の贅を尽くした宮殿だったのだろう。

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渡辺省亭の下絵により濤川惣助が七宝に仕上げた32枚の装飾絵は見事なものだった。