高円寺で1番の桜の大樹と思っていた廃墟の前の桜の古木。それが今年に入って枝を徹底的に切られてしまった。株元から伐採しなかったのは所有者が伐採を指示したのではなく、枝が歩道の上に落ちないように行政が執行したということか。
桜が咲くのを待ってくれても良かったのに。痛々しい露出した切り口に暗い気持ちになっていた。毎年確実に目に見える変化で崩れていく廃屋と見た目には変化を感じづらい桜の古木の対比が秀逸な桜の名所だった。その桜が無惨な姿になった。
そういえば京都円山公園の桜も私が住んでいた頃に枝が落とされて随分と不恰好な姿になってしまっていたが10年以上経ってどう変わっただろうか。平安神宮の屋根の上にかかる紅枝垂れは、東寺の不二桜は、疏水の桜は、毘沙門堂の門正面の桜は、千本釈迦堂のおかめ桜は、仁和寺の御室桜はどうだろうか。今でも「あの桜」の姿たちが目に浮かぶ。高円寺の廃墟桜はそんな株個体として覚えている桜の一つだ。
株元の近くにほんの数輪ほど花が咲いていた。水滴に濡れ、瑞々しく美しかった。大きな質量を持った骸のようになってしまった古木だがしっかりと生命力を内在している。若木だろうと古木だろうと、咲かせる花はいつだって可憐で若々しい。