ジャンクなものを気安く食べ歩く楽しさ。それを思い出させてくれた新世界食べ歩き。大阪に負ける期待値のそれは、東南アジアに旅行に行く際の期待値に似ている気がする。
息子の希望で京都を早々に出発して大阪へ。「食べ歩き」がしたいそうな。上等な評判の良い料理屋で名物を食べることよりも食べ歩き、ハシゴがしたいのだ。理解できる。
まずはホテルに荷物を降ろして傘を借り、ジャンジャン横丁へ。
昼から飲んでいる客多数。神戸在住時に来ているはずなのだが印象が変わっている。将棋サロンはなくなってしまっていた。
全く最新式ではない遊技場がいたるところにできている。どうやら同じ系列の店が多い様子。
新世界、通天閣、ジャンジャン横丁を歩いていると商売とは最新のもの、より高品質のものを提供すれば良いわけではなく、どんな需要に応えるかなのだとしみじみと思う。
500円を払ってコルク7弾を受け取り、必死になって10円や50円の駄菓子を撃ち落として満足する。それを求めて客がひっきりなしに来る。もちろん、新世界、通天閣という場所に対する期待値であって他で通用するとは限らない。こんな原始的な遊びで楽しむ息子を見て、写真を撮って親は腹の底から温かい気持ちになれることは示唆深い。私たちの幸せは、満足は何から来るのかということを考えさせられる。
雑誌か何かで取り上げられた人気店なのだろう。行列が尽きない店があったり、客が全然いない店があったり。実際にたいして味に違いはないように思う。人気の浮沈も10年、30年、50年続く店の間ではゆらぎのようなものかもしれない。これも商売の不思議。
串カツ田中はあまり感心しなかったのだが、新世界で食べるからなのか、本場の味は違うからなのかなかなか美味しく感じた。息子曰く、一番おいしい串カツネタはバナナだそうだ。サツマイモ、トウモロコシ、カボチャがほくほく甘く美味しい。
求められているものがピカピカな商品台、業者に頼んだ整った文字の看板ではないことをきちんと自覚している感がある。
表面をカリカリに揚げた「銀だこ」に慣れてしまっているけれども、大阪のふわとろなたこ焼きもまた美味しい。立ち食いしてはそぞろ歩き、ふらりと入ってビールケースに座ってまた摘まむ。
店の派手な看板も見て歩いて楽しい。
なるほど。これが新天地か。一度来たことがあるはずなのにその頃は全く関心がなかったように思う。鶴橋の景色は思い出せても通天閣の記憶がほとんどない。しかしこうして子供と歩くには楽しい街だ。