久しぶりに前々職の同僚や先輩に会った。
誰々と誰々の代では自分が1番の出世頭であるとか、自分とお前では会社から認められた度合いが違うであるとか、今やびっくりするぐらい稼いでいるとか、過去の武勇伝とか、誰かの失敗談とか、そんな会話が目の前で繰り広げられた。年収6000万円ぐらいはあるっぽい。お前はどんな数字を持っているのか、そんなド直球な質問が面白おかしく投げ交わされる。聞いていて懐かしさもあり、楽しさもあり。それはもう他人事になって傍観者として聞くからかもしれない。
バブル崩壊後の笑い話にリストラに遭った中高年が転職活動で「あなたは何ができますか?」と面接官に聞かれ「私は部長ができます」などと答える笑い話があった。しかしこの日の話も聞いていると「○○さんって今何してるの?」「○○そんはXX会社でCFOやってるそうですよ」みたいな勤務先と役職名の話ばかり。どんな成果を出しただとか踏み込んだ話は全く出てこないので部長ができます、部長をしてますと大して変わりがないのかもしれない。
いつまでもギラギラと野心的に働き、仲間で集まって「誰々さん凄いですねー」と賞賛を集めることをまた燃料にしていけるようなエネルギッシュな人が多くいた会社だった。そういう人は40代でも50代でもあいかわらずそのままだと知った。
自分も負けてられないな、と競争意識を煽られる環境にかつてはいたし、少なからず自分も煽られていた。しかし自分にはキャリアを目的化した野心的なギラギラした情熱がないことがわかるにつれ、半端感だけが増してきていた。会社組織での肩書きや地位上昇にやりがいや自分の尊厳や拠り所を求めることはできなくなったと感じ、それ以外を模索し始めた。
とはいえ、別の道など確立などできておらず、作陶など生活の基盤になどなっておらず、今も続けている本業のそこそこの収入が自分のプライドを守ってくれていることも自覚する。そこがなんとも情けない。
今の私の関心軸は何だろうか。
息子達に楽しかった子供時代の思い出を作ること。愛されて育ったという根拠のない自信を植え付けること。
ゼロから造形しそれを買って喜んでもらえる作陶の喜びを追求すること。売れなくても作っただけで嬉しくなるモノづくりの楽しみを追求すること。
ジャンルは違えどその喜びを共有できる作家の繋がりが広がっていくのも今は楽しい。
外国から来た友人をあれこれ考えてもてなすのも好きかもしれない。旅先で出会った一期一会を楽しむのも好きだ。
頼られ助けを請われたら知恵を絞って、手足を動かしてボランティアする。これも良い。
すっきりしない思いを抱えつつそれも良しと日々を送る。