改めてコテンラジオというものを聞いて第一次世界大戦を知ったがなんとも暗くなる話だった。
誰もが戦争なんて非合理的で経済的利益にならないから起きるはずがないと思っていた。
部分最適な三国協商や三国同盟は抑止力とはならず雪崩式に複数国を戦争に巻き込む側面を持った。
国民国家となったことにより総動員が可能となり、王侯貴族や支配層が傭兵を雇って行う戦争に比べ動員できる兵数が桁違いに増えた。
鉄道の発達によって大量の人員を前線に送ることが可能になった。
機関銃によって数千人、数万人を短時間で殺戮できるようになった。
大陸を横断するような塹壕戦によって迂回することができず正面から突撃することになった。
機関銃が加熱して冷却する時間猶予を上回る突撃を仕掛けるという戦略を取ることになった。
有線の電信が発達して将兵が最前線に居らずに指揮を取ることができるようになったものの情報の遅延や混乱で無謀な突撃が繰り返された。
国民主権や国民国家など社会制度の進歩と多方面に渡る科学技術の進歩の帰結は戦死者900万人、負傷者2000万人とも言われ、それ以前の普仏戦争25万人、日露戦争25万人、南北戦争110万人と桁違いの惨禍となった。世論が重大な判断時において影響力を持ち新聞の扇動的な誤情報で誤誘導された国民感情が多くの場面で判断を誤らせた。
誰もが戦争なんて非合理的で非経済的で起きるわけがないと思ったにも関わらず世界大戦に突き進んだ。
米中やロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナとの間で起きていることを思うと第一次世界大戦その当時よりも人類が賢くなったなどとは到底思えない。疲弊した民主主義も、過剰な資本主義も、国連の機能不全も、超大国間の自国中心主義のチキンレースも相互依存の深まった世界経済も戦争の抑止力ではなくより破滅的な惨禍を拡大する触媒として機能することは大いにありうるのではないか。SNSに蔓延る陰謀論や歪んだ認識で倫理や知性は後退しているのかもしれない。
フールプルーフの世界ではなく、過ちは起きることを前提に適度に無力化され被害規模が限定される世界を目指せないものだろうか。