
民泊させてもらうゲストハウスはサマルカンド旧市街のユダヤ人街区にあった。ユダヤ人は昔はいたものの今はブハラかどこかにしか残っておらずサマルカンドにはユダヤ人コミュニティは無くなっているという。

道の名前も番地も無い一画の背をかがめて入る戸の中に外からは想像つきづらい憩いの家があった。

内庭をコの字に囲むように、かつては数世帯が同居していたそうだ。
部屋はユダヤ人の様式だそうだ。
大きな3面が窓の台所がありここで晩御飯を一緒に作らせてもらった。
大きな来客用の部屋は2階まで吹き抜けとなっていて晩餐の場として毎日使われている。
ここをウズベク家庭の平均的な姿として見ることはできないのだろうが異国情緒に溢れて素敵だった。

ちなみに下水道システムが不全なのでウズベキスタンではトイレットペーパーは便器に流せない。
熱いお湯も出るし、洗濯もさせてもらえて快適だった。
自宅には中庭に面して竈門がある。ここで今晩は一緒にサモサを作らせてもらう。
小麦粉に水を混ぜて練る。
麺棒で大きく薄く伸ばした後にギーというバターのようなものを塗りくるくると丸めて棒状にする。

それをこぶし半分ほどのサイズに切り、直径12cmほどに伸ばす。

この子は小麦粉料理が得意なのだそうだ。手際が良い。もうそこまでで良いとか、もっと薄くしてとかご指導頂いた。
竈門は一気に木材を燃やし煙を立たせた後に熾火になってから調理する。
円盤状の記事に挽肉と玉葱の微塵切り、胡椒を混ぜたものを包む。


これを水を接着剤としてつけながら竈門の壁に貼り付けていく。熱い。
大きな皮の手袋を使って竈門の壁から剥がしていく。
熱々のサモサは絶品だった。店や市場でもサモサは売っているが、どんな肉を使っているか、どんな混ぜ物がされているかもわからないのでサモサは家庭で作るものしか基本的に食べないという現地人は多いらしい。
それなりに手間だしサモサを自宅で作るのは月に2〜3度だそうだ。それなりに頻度の高い餃子パーティーみたいな感覚か。
宿の子供たちもとてもよく料理を手伝う。ウズベキスタンは家父長制が強く女性は子供のうちから料理も作れるようにならないと親戚からあの子はダメだと煩いらしい。女は料理が作れて当たり前と言う同調圧力が強いのだそうだ。男の子は全く動かない子が多いと言う。
2日目は脂の多いウズベク料理に胃も疲れてくる頃だろうと思い、スープ料理を事前にお願いしていた。
大鍋に馬鈴薯、玉葱とトマトを塩で味付けしたシンプルなスープとピーマンに肉詰めしたものを一緒に作ることでスープに肉エキスも出すお手軽料理。
ピーマンはヘタの周囲を切って中のタネを抜く。具は玉葱の微塵切り、牛と羊の合い挽き、研いだ米と塩。コメが膨らむのでギュウギュウに詰めないのがコツだそうだ。
ヘタを上側にして詰めていく。
息子はウズベク人のご主人に今の時代は料理のできる男の方がモテると諭されていた。落とし蓋をして30分ほど強火で煮込む。
最後に塩で丁度良い塩分に調える。
日本だとこんなに大きなピーマンはないし苦味が強いのでパプリカで代用できるとのこと。息子に帰国したら家族に振舞ってもらおう。
ご主人は敬虔なイスラム教徒なようでビールを振る舞ってくれたが自分では飲まない。20時半にはお祈りの時間ということで一時退室。