日展に行ってみた。院展は何度かあるが日展は初めてかもしれない。1階に日本画や工芸、2階に洋画と彫刻、3階に書で入場料1500円。

日本画は100号サイズの巨大な絵画が並んで壮観だった。岩絵具でこのサイズのキャンバスに幾重にも塗り込めるだけで数ヶ月、何十万円もかかるという。経済力や強い覚悟がないと描ける代物ではない。
入口にある榊原孔美子さんの「Aluhi・願い」という作品はとても淡い色調だけれども近くで見ると隅々まだ描き込まれている。
顔の表情が好み。
蝶の飛んだ軌跡、あるいは風の流れが可視化されている。背景の一部として溶け込むようで、近寄って目を凝らすほど見える景色が増える。
大きなホテルや旅館のロビーなんかに飾りやすいのはこういった作品かもしれない。

おお、虫だ。
蝉のような顔と翅だけれども触覚と腹の長さが蝉ではなさそう。何という虫だろう。
ナナホシテントウの下に芸術万歳とある。1枚の絵画から複数、一部を切り取っても作品になるなと思った。
大水青のような蛾だが白い。蛾は飛翔時にこんなに前翅を前には出さない。こんな姿になるのは展翅した標本だけだ。死んだ姿を表しているのだろうか。それとも標本を描いたのだろうか。こういうのは聞きづらい。
リアリティを追求するのも良いけれども、追及しすぎるのは野暮だとも思う。

藝祭や美大の卒業制作展はコントラストの弱い淡い日本画ばかりだがパッキリと線の明確な日本画は印象に強く残る。上手いな。温泉旅館の湯上がり処に飾っていて欲しいような作品。福田季生さんの「かごめ」という作品。今年の京都の都をどりのポスター原画を描かれた画家さんらしい。
柳橋広司さんの「群れ集う」。鳥の何を考えているかわからないうの表情が伝わってくる。大学で美術教授をしながら日展などの公募展に出品されているという方のようで美術の道で生きていく王道を行く。
クビステ・ライザさんの「夏冬」。ギャルだ。岩絵具でギャル。来歴やこの絵を描くことになった経緯を知りたい。
白黒の燕子花。攻めるなあ。この巨大サイズで色彩が魅力の花をモノトーンで描く冒険心。

日展はプロ画家が集まる場なのだな。疎なようで密な部分の描き込み、複雑さに心が掴まれる。
浄土宗の僧侶で命やつながりをテーマに動物の作品を描かれているそうな。他の作品もカッコいいものだらけ。可愛らしく美化しない動物の獰猛さも現されていて好き。




頭に浮かんだのは分子ガストロノミーという単語。近づいて目を凝らすと色彩豊かな粒子のかまりが見えてくる。



そして最も心にズシリときたのが竹ノ下ひさえさんの「見つめる」という牛の絵。昨年、屠畜場で牛を見た。額に電気銃を撃たれて絶命する直前の牛の眼は眼球の中に液体が入っているのではないかという深い深い色だった。あの瞬間がフラッシュバックさせられる絵だった。
京都芸大のWEB通信科に2025年に在籍されていたそうでその際の卒業制作が蝉曼荼羅というもの。死生観など思想が先に深くあって後から美術を習って形にした人のような印象を受ける。この画家の作品をもっと見てみたい。


なぜか蝶が描かれた作品が多かった。ダンゴムシやゾウムシを描く作家はいない。なぜか画家が蝶を好きだと思えないのだよな。江戸時代に見たことのない虎や象を描いている絵師のような印象を受けてしまう。メタファーとして描いているだけで蝶そのものを飼ったり餌付けしたりしている生々しさや感触が伝わってこない。勝手な詮索だけれども。

福岡正臣さん。色彩豊かな羽を敢えて彩度を抑えることで威厳や風格が増しているように思う。何より、巧いなあ。

老若男女が同じ型のイヤフォンをつけているのも意図的だろうか。うどんを耳から垂らしてモニターを眺めて同じ方向に歩く群衆。似た作品をどこかで見たが、この作品の方が風刺的。



























































