畜論

武士というのは究極の社畜だという論を数ヵ月前に読んだ。石高で給与をもらい、隠居して家督を譲るまでは終身雇用だ。重要なのは住居も基本的には職制に応じて長屋から屋敷まで与えられる。しかし本人の所有には消してならない。つまりキャピタルをもたずキャッシュフローに生きるサラリーマンだということだ。現代の会社員は会社を仮にクビになっても他の会社に転職すれば良かろうが、藩務めを解かれたからといって他藩に召し抱えられることは江戸時代にはなかなかない。曲がりなりにも武士である以上、容易に商いを始めるのも難しい。安定はあれど放逐されるわけにはいかないのでより保守的な公務員的姿勢が醸成される。


武家において五葉松が縁起物とされるのは「御用待つ」に通じるからだ。藩から御用を賜るのを待つ、受け身な社畜根性かもしれない。そうして二百七十年もかけて形成された意識は百年やそこらでは消えないと言う。日本の大企業の社畜文化は何も高度成長期に急に涌いて出たものではないということだ。


裏を返せば、社畜的振舞いは武士らしい振舞いと言い換えることができる。上司にへこへことへつらってる御仁には、武士に恥じぬ振る舞いだと誉めてやればよい。


マンゴーに、家畜と社畜、どちらがいい?と聞いてみたが返事はなかった。


気立ての良い犬だとつくづく思う。吠えないし、噛まないし、耳や尻尾を弄られても身を任せるままだ。セラピードッグの素質があると常々思う。しかし沈黙を恭順と勘違いする飼い主の元で生きるのも苦労が多いのかもしれない。貯えもなく、日々を飼い主からもらう餌に頼り、かつ餌の遅配にも文句も言わずに暮らしている。そのかわり、終身保証された身分ではある。


社畜と家畜のどちらが良いかと言う質問は無意味だ。既に両方だったのだから。むしろ、誰からも可愛がられるよう振る舞うマンゴーのほうが賢い。可愛くない振舞いばかりの社畜飼い主はそう思った。


マンゴーはサムライドッグ。