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座禅

寺社仏閣 もてなし

週末のほうが起床時間が早いというのは職業人としてどうなのだろう。禅寺へ友人を二人連れてお邪魔した。


一人は天文学を研究しているスロバキア人で、学生としてではなく嘱託研究員として京都大学で働いている若い男で、以前から禅に興味を持っていると言っていた。曼荼羅は宇宙を現すものだし、とかく基礎研究や天文学なんかは哲学的な要素があるような気がして、そんなところから天文学と禅は繋がるのだろうか。


もう一人は企業勤めの同年代の日本人で、防衛省出身だったり歴史に関心が強かったりと背景の面白い男。こちらも坐禅に一緒したいとかねてから言われていた。


坐禅の時間よりも30,40分ほど早く押しかけさせてもらい、庭の落ち葉掃きや寺の木床の雑巾掛けをさせてもらっている。というのも、体を動かして無心に掃除をした後の方がすっきりと坐禅できる気がするから。手漕ぎポンプで水を汲み、古びて表面の風化し始めた床を木目に沿って拭いていく。そんなに汚れてなどいないのだけれども、小さな乾いた鳥の糞なんかが落ちていたりもする。寺の掃除はなんともすっきりする。おそらくは清掃も坐禅も場所を選ばずに我が家でもできるものなのだろう。家の掃除をしてすっきりしたらいいのに、と嫁は文句を言うに違いない。しかし趣のある苔庭なんかを掃除するほうが中途半端に洋風な我が家の庭を掃除するより心が喜ぶ。残念ながら。


坐禅の後は参禅者でお堂でお経を唱える。天文学者の個人的な研究の一環として無理をお願いして若住職の懺悔文や般若心経を録音機で録らせて頂いた。いつも以上に張りと重低音のある声。そこらで聞くお経とは比較にならない声で実は惚れ込んでいる。天台声明よりも好きだ。天文学者は抱いていた印象を覆す声量と迫力に驚いていたようで、これは宝物になると感激しきりだった。どんな個人的な研究なのか未だよくわかってはいないが、喜んでもらえて有難い。その後、カフェでカトリック仏教の比較やら、研究室内のことやら、話に花を咲かせた。