若鮎の七輪焼き

最近、全くブログを書かなくなっていたな。何せ、記録しておきたいと思うようなことがなかったもので。


で、10か月ぶりに京都に行ったら写真やら記録しておきたいものがあれこれとある。やはり自分は京都が好きらしい。


大文字の火床まで登って京の都の夜景を一望し、酒でも呑みながら後から登ってくる友人を待とうと計画していた。しかし5月31日に若鮎が解禁されたらしく小さな奴もびっくりするぐらいの安さで商店街角の魚屋で売られていた。そのほかにも鯖が10匹で500円と恐ろしいぐらいの特売。計画はひっくり返った。



友人宅の庭先で七輪で稚鮎を炭火で串焼にして食べた。大宮の商店街の道角にある魚屋で薄い箱一杯の稚鮎が1800円で売られていた。七輪に炭火をおこし、稚鮎を三匹づつ鉄串に刺して塩を振る。これは友人が全て手際良くやってくれて傍観しただけだけれども。そして三人で七輪を囲みながら、話をしながら舌鼓を打つ。そして友人の奥様に出して頂いたヒジキの炊いたんと揚げ豆腐の美味いことよ。


そりゃ、麻布や広尾なんかに行けばこだわりの炭でその日の朝に名産地から空送されたブランドの魚介を焼いてくれるような美味い店はいくらでもある。塩までどこそこの天日塩だのスペイン産の岩塩だの選べたりする。美味いものは一番高く売れる東京に集まる。
しかし、薀蓄を聴かされて目の前に出されたモノを口に運ぶだけというのがなんともつまらんのだよな。店先に並ぶ素材に、ああそんな季節かと驚き、手頃なものを見つけて喜び、家に持ち帰って自ら手を動かし準備して調理して食べる。その全ての行程とかける時間でもって旬の稚鮎を体で味わえる気がする。説明されて目の前に出されたものを口に放り込むだけでは、素材を実感して愉しむ時間的ゆとりが無い。


軽く焼いただけでは稚鮎は苦味が残るだの、焼きすぎると香りが薄れるしこの苦味が美味いだのとお互いの好みを話しながら、それぞれが時間をかけて好みに焼いて食べていく。そういうのが愉しいし美味い。朝、自分で掘った筍を調理して食卓を囲むのも然り。偉そうに書きながら稚鮎は全て友人ご夫妻に調理して頂いたものを私は食べるだけだ。でも家で自分でもこういうやつをやりたい。


京都にいたころはもっと旬と四季の味覚を感じられたのだよな。だから料理するのも楽しかった。東京に移り住んでからは安定大量供給の味のスカスカした素材が多いのが不満。


七輪が欲しい。
消し壺が欲しい。
家で焼きたいな。