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2ヶ月半ぶりの作陶

中国出張やらインド出張やら家族行事やらで2ヶ月半もご無沙汰していた作陶を久しぶりに再会。今となっては数少ない趣味すら碌にできないのは情けない。料理を趣味にするだとか、平日の夜にできる趣味にするだとか幼児の子育てに相性の良い趣味の方が良いのかもしれない。

 

長らくほったらかしにしていた信楽白土を練ったのだがボロボロとヒビが入る。粒子が不均一になって粘りのない状態を「土が疲れている」なんて言うが、それこそ水に浸してに寝かせる」とまた均一化して粘りが出る。日本酒を入れたり、堆肥やなんかをいれて腐らせたりもするらしいのだが、それをやる時間も気力もない。

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そんなわけで粘りのなさを逆手にとってヒビ割れを強調した鉢を成形した。

 

 

多肉植物鉢だと、少しぐらいの亀裂から水が漏れるぐらいが排水性に優れて丁度良いぐらいだから、気安く作れる。まあ、面白味に少し欠けるけど轆轤に使えなさそうな土なので仕方ない。

 

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こちらも植木鉢二つ。中はくり抜かれている。

 

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コンクリート片から多肉植物が生えている感じを出せるのではなかろうかと。これをコンクリートの三和土や、家の駐車場の上に転がしておいても面白いのではないかと。

 

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座禅草のようなモチーフに愛犬マンゴー殿を載せてみた。筒の中に多肉植物を植える予定。ここからもう少し、完成させるまでにいじりたいことがある。

 

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なんなら、マンゴーが大往生した後には分骨して入れても良い。そうなると、台座もつけたい。犬は釉薬を掛けるとあまり細かく彫り込んでも意味がなくなるので、荒く削った風に留めてみた。



結局のところ、それなんなんですか、と言われるような実用性が不明なもんを作ってる時が一番楽しい。会社サボって朝から晩まで大きい鉢を造りたい。

コールマンのインディゴブルーテントへの憧れ

 

 

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神宮外苑軟式野球場でキャンプ用品メーカーによるアウトドアリゾートパークが開かれていたのでテントを物色しに行った。

 

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まずはエクスカーションティピー。インディアンのテントのようでワクワクするが、中央にポールが立ち、テントの端はかなり天井が斜めで圧迫感がある。風にも弱そうな印象。

 

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こちらはスクリーンタープという四方をメッシュで閉じれて虫除けできる巨大な居間テント。こんなんでBBQしたら贅沢にして快適。

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今回、心を奪われたのがコールマンのインディゴラベルというシリーズ。

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コールマンのテントはベージュにグリーン、あるいはバーガンディーという臙脂色であまり冴えない。野外で溶け込みやすい色ではあるが遊び心を感じない。しかしこのインディゴラベルは外が青、中が白の清涼感溢れる色使いで形状は変わらないのに、一気にグランピング気分になる。色は大事だよ。テンションが一気に上がる。

 

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機能は変わらない同型のテントよりも8000円近くも高い。機能は変わらないのにより高い金額を払うのか。感性的価値に金を払える人間かどうかが問われているわけだな。いや、感性的価値肯定派だ、私は。どちらにしろ、小遣いではこの大きなテントは買えなさそうなだけだ。

 

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タープもインディゴのデニム柄。この後、ほぼ同じ構造のテントを体験で張らせてもらったのだが大人1人でも10分もかからないで張れた。しかも天井が高く、壁面地表部から風を取り込み、天井から暑い空気を逃すベンチレーション機能がしっかりとしていて快適そうだ。ますます欲しくなる。

 

ううむ。欲しい。300cm×300cmというサイズが大きすぎるのだよな。300cm×250cmとかもう少し小振りのインディゴテントが発売されるのを待とうか。

 

使えるテントがあるのに好みというだけで別の新しいテントを買う贅沢はできない。息子達が小学生になり、嫁さんも一緒に行く段になってようやく大きなテントが必要となって買えそうな気がする。それまではドッペルギャンガーのツーリングテントにタープで快適性を加えていく方向で頑張るしかないか。

古希を迎えた父に高度成長期重厚長大サラリーマン人生を訊ねる

父の古希の祝いで木更津のホテル三日月という温泉旅館に泊まりに行った。


木造三階建ての老舗旅館が好きな私にとって巨大ホテルは好みではないが、幼児連れで安心して愉しめるのはこういう「お祭りランド」やらの遊ぶ施設、ウォータースライダーや流水プールなんかが溢れ、好きなものを好きなだけ食べられるビュッフェのあるホテルであるらしい。

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夜、普段よりも夜更かしすることを子供達に特別に許してみんなで乾杯した。何やら美味いナパの赤ワインを開けてくれた。コンティニウム。継続という名のワイン。息子に孫達に何か意味を託しているのだろうか。単に美味いワインだからというだけかもしれないし、昭和の団塊世代は妙なロマンチシズムの小ネタを仕込んでたりもするし、真意はわからない。

ああ、飲みやすくてまろやかで濃厚で美味い赤ワインだなあ、などと思って飲んでいたが値段を知ってこういうワインを飲むにはこういう値段を払わねばならないのかと落胆。下戸の嫁さんと酒量の少ない私の2人だとワインは楽しみにくい。開栓した後もちびちび飲めて安い日本酒がやはり身の丈に合うのかも。濃厚でとっておきの日本酒を探したいと思った次第。

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父の昔の話はあまり聞いたことがない。少しばかり聞き出してみたが、自分のインタビュー技術がないのと、母がすぐ「あの頃は家ではどうのこうの」と自分の話を差し込んでくるのであまり聞き出せなかった。

母の愚痴から、嫁から買った怨みは何十年経ってもいつまでも昨日のことのように蒸し返されるということを知った。「あの時は腹が立って仕方がないから頭にきて5万円のラム皮のジャンパーを買ってやったわ。それにしてもラムってやっぱり柔らかくて良いわね、だって。。」と話は止まらない。肝に銘じておこう。

親父の話に戻るが、新卒で配属されたら辞めるまで同じ部門に勤めるという社風と時代。同期入社は214人のなかで定年退職までの42年間、本社に残ったのはたった14人とのこと。

親父のサラリーマン人生のハイライトは日経新聞にも載ったという、手掛けた海外への1000億円以上の融資案件らしい。サラリーマン人生の最大の失敗はそれと同じくらいのインパクトと面白さがあるが、本人の名誉のためにここでは書かない。

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50歳になった時には新設されたばかりの早期退職制度で退職金1億円が提示され、その頃それなりの人数の同期が辞めたとも言っていた。今では考えられない金額だ。

1億円の早期退職金に飛びつかないほうが得だと算盤を弾いたぐらいだから今でもそれなりな財産形成されているのではないかと少し期待した。しかし息子2人で私立大学に進学し一人暮らしの仕送りまでしてもらって脛をかじり尽くしたし、両親をはじめ、父から見て従兄弟にあたる身寄りのなくなった親戚を引き取ったりもしているのでそんなに残っていなさそうだ。独身の姉の面倒も見るつもりでいるらしい。

父の父、つまり私の祖父にプレゼントに買ってもらった自転車を勝手に祖父に売られて酒代に充てられたなんて話もあるぐらいの奔放な祖父を見て育った父は貧乏も経験したし、堅実だ。

子供に資産は残さない信条らしく、夜行バスで国内旅行にでかけたり、台湾だのナパバレーだの遊び歩いている様子を見ると、夫婦の老後必要資金以外は綺麗に使い切るつもりかもしれない。

70歳は電車で席を譲られるほどに年寄りでもないし、中途半端なんだよな。と言っていた。反面、まだ元気に海外旅行に出かけられる体力気力もある。

サラリーマンの秘訣は辛抱だ、忍耐だと繰り返していた。説得力があってしんどい。しかし部下が我慢すると思うから上司の横柄も横行するとも思う。高度経済成長時代の重厚長大産業で勤めた団塊世代。サラリーマンは辛抱だ忍耐だと言いながらも結局同期214人のうち200人は本社から去っている。父は本当に辛抱と忍耐の人だったのかもしれない。父の会社には、プライドが高く自己過信して嫌なことがあると「俺は外でも通用する」と勢いで辞めてしまう人がなんとなく多そうな印象。父の場合は子供の頃の貧乏やあれこれと比べたらこんなこと大したことない、といなしそうだ。何でも楽しもうとする楽観主義で、新し物好きでもある。

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私の世代に比べたら遥かに自己犠牲的なサラリーマン人生を歩んだ世代でもあるし、引き続き遺産などビタ一文残さないつもりで遊び倒す老後を元気に送ってくれたら良いと思えてきた。

5月の緑道

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昨年は蕾一つつけていなかったジャーマンアイリスが今年は盛大に咲いていた。しっかり根を張ったのだろう。

 

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夜に街灯の光を透過すると、雲母のようにキラキラとしていた。

 

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その点、菖蒲は姿形が端整だ。

 

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鴫立沢も若葉を元気に出している。

 

 

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昨年秋に矢車菊の種を大量にばら撒いたのだが、ほんの幾つかだけ実生で育ったようで、たった2輪の花をつけた。

 

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ほぼ同じ場所に植わった紫陽花の花色が異なる不思議。

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我が家の巨大な碧瑠璃蘭鳳玉も花を咲かせたが繁殖相手不在。

 

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ジューンベリーの実が色づき始めた。最初に赤くなったこの実は翌日には無くなっていた。ここぞという日に収穫しないと、小鳥達に持って行かれてしまう。

 

そんなわけで大した量でもなかったが収穫してジャムにした。

 

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ど素人父、5歳児とオートキャンプ@わんダフルネイチャービレッジ

  • 大雨注意報が出た日の雨上がり

  • 初めてのテント外泊
  • 初めてのキャンプ調理
  • 素人父
  • 犬連れ
 
愛犬マンゴー殿の8歳の誕生日とあり、普段は留守番させられることの多いマンゴー殿を主役にした一泊旅行を組んだ。テントに泊まって家族と同じ寝袋に寝て、昼は多くの犬とリード無しで駆け回る、泳ぐ。そんなわけで東京のあきる野市、秋川沿いにある「わんダフルネイチャービレッジ」に行った。ここは市街地も近く、必要があれば病院にも動物病院にも駆け込みやすくて安心。

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ちなみに全犬種用の一番広いドッグランは白い大型犬の集いがあって、まだ躾の緩い子が唸ったり吠えたりでなかなかの迫力だった。

 

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地面に降り立つと白い大型犬に揉みくちゃにされるので、マンゴー殿は高所から降りない。

 

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犬用プールもあるのだが、8歳まで泳ぐ楽しさを知らずに生きていたのでマンゴー殿は傍観するだけ。

 

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男の子達に腹を撫でられてご満悦。タイなんかでは2人にマッサージしてもらうフォーハンドマッサージなんていう豪華コースもあったが、これは3人によるシックスハンド。とてつもなく気持ちが良いに違いない。

 
ここからは素人父子オートキャンプの備忘録
 
テント
ドッペルゲンガーの1人用ツーリングテントは設営時間が5分もかからないので非常に楽だ。折り畳み傘の要領で開けば張れるという優れもの。広さも大人と5歳児、小型犬1匹ならばやはり問題ない。

 

しかし周辺のキャンパーは4〜6人用の寝室と居間の連結された大型テントばかりで、特に雨の日は羨ましい。ただし、設営にかなりの時間がかかること、小学4年生の双子のいる家族を見ても子供は戦力にならず父母の二人掛かりでテントの設営や撤収に励んでいた様子を見るに、父子だけで行くならば1人でも手軽に張れるテントのほうが良い。
 
テントに入る前に犬の足を拭く。濡れては困るが中に入れたくない靴を置く。そういった理由で居間スペースのあるテントは便利だが、手軽に、機動的に対応するとなるとやはりタープを手に入れるのが良さそうだ。
 
蚊や蛾がやってこないとストレスが大きく減るが雨の日だと蚊取線香も焚けない。防雨防滴の蚊取線香カバーを入手するか、陶器で自作する。あるいは大型タープに蚊帳を張れないものか。
 
折り畳みの椅子も欲しいところだ。案外、地面が濡れているとテント以外に座る場所がなくて難儀する。
 
マット、寝袋

 2人用だが、ジッパーを外すと1人用2つにも使い分けれるという優れもの。耐寒温度-5℃というのは少し眉唾。そんなに中綿が分厚いわけではないので、ある程度は着込んで寝る前提だと思う。

 気温20度前後だった。テント内用のグラウンドマットはこちらのものを買ったが、グラウンドマットの上と比べ無い部分の底冷えはなかなか強かったので断熱性はかなりのものがある。また、巻かないタイプなので端が丸まることもなく快適。クッション性も良い。もう一つ買い足しても良いと思った。

 
照明
充電乾電池式のLEDランタンをテント内に吊るす。予備に太陽光蓄電LED。そしてヘッドLEDランプ。
他の家族を見ると、コールマンの4灯着脱式のやつが相当売れていることがわかる。大勢で来る家族キャンプならばとても良さそうだ。
小さなテントで機動力重視のキャンプをするには、人数分ヘッドLEDランプを備えるのが最善かと思う。両手が自由に使えるようになるし、視線の方向を常に照らせる。防災用としても最適だと思われる。
 
 
バーナーとコッヘル
今回、初めてバーナーとコッヘルを持って行って息子と簡単な調理をした。
イワタニ(Iwatani) カセットガス ジュニアバーナー CB-JRB-3

イワタニ(Iwatani) カセットガス ジュニアバーナー CB-JRB-3

 

 カセットコンロ用ボンベを利用できるイワタニ製のバーナーを買ったが、これは優秀。相場がわからずとも、この値段でこの性能は素晴らしいことが直感でわかる。折り畳むと非常にコンパクトになる。カセットコンロ用のボンベを使うので高火力を長時間維持できる。さらに五徳部分が風防として機能するので風にも強い。大きな鍋を使いたいならば網台があれば良いのだろう。

スノーピーク(snow peak) アルミパーソナルクッカーセット SCS-020

スノーピーク(snow peak) アルミパーソナルクッカーセット SCS-020

 
コッヘルは容量の8割近くまで水を入れて沸かすと、煮沸の蒸気で蓋が落ちる。煮沸の泡が周囲に飛ぶ。もう少し筒状寸胴の深さのあるやつが便利かもしれない。
 
ラーメン、粉末スープ、珈琲程度では問題無し。ソーセージを焼くぐらいも問題なさそうだ。米を炊けるようにしたい。普段から炊飯器ではなく土鍋で炊くことには慣れているが、一回に炊く量と火力の組み合わせを学ぶには何回か練習が必要だろう。
 
 
反省点
カトラリーを忘れた。
ポータブルテレビは電波が悪いと電池の持ちも悪い
 
 
今後の課題
テントは防寒に着込むことはできるが蒸し暑さはどうにもならない。
 
完全に雨が降っていると現状設備ではしんどい。
 
備品を揃えるとしたらタープ、グラウンドマットの追加購入か。
 
 
防災という観点からすると、4人以上の居間付きの大型テントの方が居住性は良いのだろうな。キャンプに興味のない嫁さんの助力無しに一人で組み立てるのはしんどいし、防災用に備えて置くだけならば価格も高くて悩ましい。

専業主婦の達成感の感じ辛さと子への依存、教育ママ化の理由を垣間見た気がする

 
  1. 専業主婦が達成感が感じ辛いしんどさの一端
  2. 教育ママと化す心理の一端
  3. ドラマに出てくるような出来が悪い子供を認められなくなるエリート親の気持ち
  4. 親としても最善を尽くさないといけないという強迫観念の源泉
そんなことを垣間見た気がする。
 
 
 

中国とインドから帰国し、家の手入れや掃除に1日をあて、そして親戚を4人ほど招き誕生会を開いた。

 
兄が子供の好きそうなものをいつも持ってきてくれる。
 
一日中、随分と興奮気味にはしゃいでいた。その反動で夜は少し情緒が乱れて泣いた。いつものことだ。子供の神経は繊細だ。
 
何年前かの同じ日に生まれたというだけで、主役になり、みんなから祝ってもらえるというその絶対肯定は子供が得られる幸せの原体験だなんて話を聞いた。
 
そういえば、親子家族の写真を部屋の目にできる場所に飾ると親から愛されているという自己肯定感が強まるなんて話を聞いた。何枚か印刷して部屋に張りだそうかと思う。
 
 
 
翌日、嫁さんに夜まで息抜きに好きに出かけてもらって息子二人と過ごした。
 
遊具のたくさんある大きな公園に行くと長男と同じ幼稚園の友達がいて長男は二人で遊んでいた。下の子は黙々と砂場で砂遊びをしていた。何かあっては困るから絶えず交互に子供を見守っていると自分自身としては何もできない時間が過ぎていく。
 
見守っていると、同じ月齢のその女の子のお友達と比べて、うちの子のほうがあれこれと拙いことが目についてきてしまう。喋りが拙い。遊具を登ったり降りたりが鈍臭い。ブランコを上手にこげない。その子が飛び抜けているわけではない。
 
 
 
そういえば、1年間他の子と同じように水泳の時間があったが泳力テストでは落ち続け、年中になってようやく上のクラスに上がった。どうやら、あまり運動が好きで得意なタイプではないらしい。いや、こんなことは遥かに昔から察していたことではある。
 
 
気づかないうちに、自分が子供の頃はもう少し上手にできたような気がするだとか、あれこれと比べてしまう。もどかしい。根底にあるのは、才覚や要領が悪いと世の中は飛躍的に苦労が多く生きるのがしんどくなっていくと私自信が感じていて、子供には乗り越えていく強さなり特技を持って欲しいという心配と願いがある。
 
半年以上前に似たような泳力だったお友達が、いまや二つ上のクラスに上がっていたという話を聞いた。お爺ちゃんが水泳の先生で、特訓してもらっているのだという。それを聞いてなるほどな、と少し安堵した。そんな特訓を受けていたのだからその子は特別だと。しかし、はたと思い返すとたまにいく市民プールでは大抵、父親に水泳を教わる幼稚園のお友達がいた。他の子と同じ時間だけ泳いで出た差ではなく、子供の泳力はその子自身の適性や能力と親のサポートの和であることは一部で事実だ。
 
「子供の成功は親のサポートの賜物」。これがどれだけ事実なのかはわからない。しかしこれこそが親の悩みの大きな根源かもしれない。
 
 
 
 
これは子供の成長や成功が親としての達成感の尺度になりやすいことを示唆する。
 
仕事は昇級や昇進、肩書きなどで目に見えて自分へ評価が可視化される。給料が生活を支えているという単純な事実に裏打ちされて仕事の重要性には疑問を挟む余地は少ない。専業主婦の達成感はどこで得られるのだろう。家事洗濯の手際が良くなっても褒める人はいない。料理が上手くなれば食べさせる家族からは褒めてもらえるかもしれない。しかしそんなことは少ない。(もっと嫁の料理に感謝し褒めるべき)
 
 
 
同じように受験競争を潜り抜け、就職活動をし、男と肩を並べ、あるいはそれ以上の仕事をして認められてきた有能な女性達が結婚出産を機に評価軸の不明な家事育児という世界に放り込まれる。
 
暇が苦痛であるように、自分への客観評価軸が不明な世界というのは想像すればするほど実は恐ろしい状況なのではないか。子供を見守る以外に何もできない時間を過ごしてあれこれ考えていると、こんな日々が毎日続き、何年も続くことを想像すると吐き気がしそうだった。そうしている間にも自分の若さや可能性が失われていく喪失感が追い打ちをかける。仕事をそれなりにしてても中年クライシスに陥っているぐらいなのに、元々仕事をバリバリしていた主婦の葛藤はそれの比じゃなさそうだぞ、と気づいた。新緑の下、涼風の吹く陽だまりが不毛な荒野のように感じてくる。
 
インテリアに心を砕いてオシャレな家を作り上げ、ママ友を家に呼んで褒めてもらう。弁当をデコって子供や友人に褒めてもらう。そして最たるものが、子供の習い事や学業での成功を自分の親としての業績評価の指標として没頭していくこと。そこに自己発露を求めていってしまうことに無理はない。親としてさらに子供をサポートすれば、もっと子供の習い事や学業の成績が良くなる。限度のない世界が口を開けているわけだ。
 
しかしそこは子供の優劣比較を通じて親同士の出来不出来を比較する世界なのかもしれない。子離れできないアスリートの親や、これが子供を東大に入れた私の教育方法ですなどと表に出たがる母親の様も説明がつくように思える。
 
子供の成功を親としての成功尺度としてしか捉えられない時、期待に応えられない子供を認めないエリートの親のような醜い姿が生まれるのだろう。子を子として見られず、自分の親としての「劣」評価を意識させる存在として捉えてしまうのだろう。
 
 
 
 
 
他人と競うこと、目に見える成果を出すこと、他人からの評価に自己肯定を委ねること。社会人としてそれらにいつの間にか心の芯まで浸かっていることに気付かされる。
 
お受験なんて世知辛い。伸び伸びと育って欲しい。健康に育つなら何も言うまい。好きなことをやらせたい。呑気にこんなことを言っていたが、そうできるためにはもっと肝が据わらないといけない。親に芯や軸がないと、子が親の道具に陥る危険性を感じる。
 
愛情さえ十分にかけていれば子は育つと思っている。親としては子に可能な限り機会さえ与える努力をした後は、どんな結果も受け止めるべきなのだろう。子供が何に秀でようが苦手としようが、それを親としての過不足に結び付けないことが子を絶対肯定して受け止められる道なのかもしれないと思った。
 
うちの子供は遅れてるんじゃないか、という心配を掘り下げたら自分が親としても人間としても未だしょうもなくて未熟だという地点にたどり着いた。肩書きも職権も職歴も学歴も年収も住まいもローン残高も妻子も親も全て取り払って何を持ってして自分を肯定できるのかに答えを得たい。子供に過干渉することなく暖かく見守る親ってのは、仕事に没頭して出世に励む親よりも胆力と器が必要なのだと思う。
 
それにだ、蓋を開けてみたら、結局のところ息子のほうが私なんかよりも遥かに優秀で性根の良い男に育つのかもしれない。息子とて親父にできない呼ばわりされる筋合いはないというだろうよ。
 
 
子供の公園遊びを見守るのは、こんな長文が書けてしまうぐらい手持ち無沙汰だった。仕事の意識で家事育児をしたら、イライラして過干渉になって碌でもない親になりそうなことも分かった。あと、嫁さんを見直した。
 
 

小説「スペードの3」「仏果を得ず」に自己投影

「スペードの3」

「何者」で戦後最年少直木賞を受賞した朝井リョウの作品。

子供たちの嫉妬や不安、加虐性、優等感、劣等感などは誰もが少なからず似た経験をした青春期の思い出として苦く生暖かく受け入れられがち。その一方で大人の嫉妬や悪意は肯定しようのないものだけど大人になっても子供の頃と変わらずに持ち続けているのではないかね。

 

そういう内心の醜さや葛藤を描かせたら巧い朝井リョウの洞察と勘繰りは著者本人のことが心配になるぐらいだ。

 

「何者」では表面的な友達づきあいの裏の卑怯さや卑屈さを鋭く抉り出して白日の下に曝すだけだったが「スペードの3」では誰もが持つ暗い面を受け入れてなお開き直り自らを変えていこうと一歩を踏み出す希望も描かれる。

 

つかさという劇団女優の描かれ方が興味深い。No1にはなれないスター。ファンからしたら雲の上の存在かもしれないが、本人の視座からしたら尻すぼみの冴えない女優。優等生でこれまでもそつなくこなし、それなりに境遇や能力にも恵まれ、物語の主役になるような悲劇もドラマもない。そんな自分を受け入れ、開き直ってまた一歩を踏み出していく。

 

スペードの3

スペードの3

 

 

「仏果を得ず」

三浦しをん文楽の世界を題材に描き出した良作。自分には縁遠い世界を垣間見せてくれる作品は好きだ。この作品を読んで、文楽を観てみたくなった。三浦しをんの作品は職業疑似体験の宝庫ではずれが少ない。辞書編纂者、樵、探偵などなど。

 

単に文楽を極めんとする技芸員たちを描くに留まらず、作品中の登場人物の心情を理解しようと奮闘する過程で文楽作品の様々な登場人物の一見わかりづらい心情と生きざまが描き出されており濃密な作品だ。

 

他人からしたら愚かで衝動的で刹那的にしか見えないかもしれないが、本人としてはどうすれば正解なのかわからない苦しさの中で、思い詰め、すがるしかなかった手段。誤解やすれ違いが重なり、膨らみ、誰も悪人がいない中で誰もが不幸になっていく。ハリウッド映画の「21グラム」を思い出す。仮名手本忠臣蔵に描かれる忠臣にはなれなかった早野勘平の心情を解き明かす過程をクライマックスに持ってきている点が秀逸。

 

仏果を得ず (双葉文庫)

仏果を得ず (双葉文庫)

 

 

 

 

「仏果を得ず」に描かれる技芸員ほどに、極めたいと思う何かを自分は持ち合わせてはいない。極めたいと思える何かを持っている人が羨ましい。まわりがどう評価しようが自分の価値観と美意識で極めたいと思えるもの。

 

自分の今の仕事を極めたいと思ったことはないし、今後もなさそうだ。では陶器の道はどうだろう。何も文楽の世界も誰もが一人で極めようとしているわけではない。太夫と三味線が競い合い、高めあっていく。志を同じくする作陶仲間に巡り合えたら、今の仕事を捨て、子供との時間すら斬り捨てて作陶に没頭できるだろうか。自分の頭の中の理想を目指して釉薬の数百万の調合組み合わせの世界に足を踏み入れられるだろうか。多肉植物が好きだからと言って、新品種の作出に時間や資金をなげうてるだろうか。

 

たぶん、私は劣化版の「スペードの3」における「つかさ」なのかもしれない。属性や境遇などの表面的な情報だけを他人に伝えれば、私の今までの人生はけして最良ではないが誰も悪いとはいわない要素ばかりだろう。むしろ小学校の同窓会なんかにいけば憧れたり羨ましがられる要素に恵まれているかもしれず、成功した一人、幸せそうな一人に分類されるかもしれない。自分を客観視すると、親の愛情も得て経済的に困窮することもなく育った。逆境をバネにするような不幸や試練のエピソードなどもないし、突き抜けたことも何一つ無いと思う。武勇伝になるような振る舞いも何一つない。何事も要領よく、そつなくこなしてきた、が自分自身の正確な描写なのだと思う。

 

胸を張れるような社会貢献もしていない。そんな冴えなさにこれで良いのかと暗い気持ちになることもある。これだけ恵まれた状況で幸せを感じられない自分自身の性根を申し訳なく思うこともある。胸を張れるような社会貢献ができている人からすれば、行動すればいいだけだ、行動しろよと思われる気がする。頭では分かっているし、すべきかもしれないが何をしたら良いのか頭の中で像が結べていない。仕事も迷惑はかけたくないし、それなりに良い夫であり父でもありたいし、本を読んだり作陶したり余暇も必要としているし。そうこうしているうちに日々は過ぎてしまう。その結果、することなすことが半端に終わっている。だからどうしろというのだ、という鬱憤や葛藤を半端なりにその半端な目の前の物事に精一杯ぶつけているという意味では「仮名手本忠臣蔵」の「早野勘平」に通じるのかもしれない。

 

悲劇性に欠けた半端な「早野勘平」に通じる自分は「つかさ」ほどに開き直って一歩を踏み出すところまで達観もできていないというわけか。10年後にこの靄は晴れているのか、より深くなっているのか。如何に。