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沐浴場

出張を一日ほど延泊して、もう再訪することはなさそうなインドの地方都市周辺を観光することにした。片道2日間、平日は広大な敷地内のほぼ全ての事務棟、生産設備、倉庫を歩き回る日々で、留守にしている日本も国税の進捗が気になったり日本の部下が入院したりと忘れさせてはくれなかった。そんなわけでこの一週間は自分にしてはよう働いた方だと思う。そうなるとすぐサボりたくなるのが自分の悪い病気のようなもの。そこからのもうひと頑張りが差を生むもので、その調子で仕事に続投すれば良いのは頭では分かっているのだが、均衡を求めてサボりを入れたくなる。人のことは滅多に褒めないのに、自分に対しては安易にご褒美を与えたがる。甘いというか、小さいというか。いつかは直したいと言っているようでは駄目なのだろうね。



ガイドブックに載っていない辺鄙な石窟を訪ねたが時間をかけていくほどではなかった。そこで帰り途中に、これまたインド人からしたら何の変哲もない川辺に急遽車を止めてもらって散策した。どうやら後で調べると州道19号線沿いのTriveriという名の寺院で、目の前の川はChanderi、Jhansi、Allahabadなどで支流と合流しながらVaranasiを抜け、やがてはPatnaでガンジス川と合流している支流だった。平野を緩慢と1200km近く流れた末の話なので同じ水分子がここからガンジスに合流するのは幾日後のことか。



左からシヴァの神体であるリンガとヨーニ、シヴァの息子であるガネーシャ、そしてシヴァの乗り物とされる聖牛。つまりここはヒンドゥーの中でもシヴァ教寺院なわけか。



西洋同様に、太陽が擬人化されて中に顔が描かれているのを良く見掛けるのだが、その顔の髭っぷりがいかにもインド人のおっさんのそれなので、にやけてしまう。



母なるガンガーはシヴァの体から流れ出た聖水ということになっている。つまり汗なのか。それ以外の体液だとあまり印象が良くないので汗ということにしておいてほしい。そんなわけで河川崇拝、シヴァ崇拝している彼らは沐浴場に設けられた石の階段を下りて川の水に頭までつかって罪を清める。




皆、沐浴をしながら衣服も洗う。洗い方は襟首など汚れそうな個所をごしごし洗うのではなく、端を持って岩に服を叩きつけるという少し乱暴なやり方。そこら中から、パーン、パーンと叩きつける音が響く。痛みが早そうではある。



それでも、見事な洗い上がり。化学合成洗剤の宣伝広告に引けを取らない白さに褌と罪は無事清められた様子。



おもむろに白髪白髭の爺様が岸から深みへと泳ぎだした。そして20メートルほど泳いだ先で仰向けに浮かんで、何かを唱えだした。学生の頃なら、自分も周囲にならって川に入っただろうかと考えた。今ではもう入る気にはなれない。これも精神の老いなのだろうか。しかしあちらこちらに目を向けるとゴミや汚物が浮かんでいたりとけして聖水と呼べるような水質ではない。ここまで河川崇拝が進んでいるならば、その母なる川、神なる川を綺麗に保とうとは思わないものか。罪も生活の汚物もゴミも全てを受け入れてくれというのはあんまりかもしれない。



何も宗教的なことでなく、自分の行いを問い、反省し、改善していく日々を重ねていくのは意義があるように思う。