5月の緑道

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昨年は蕾一つつけていなかったジャーマンアイリスが今年は盛大に咲いていた。しっかり根を張ったのだろう。

 

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夜に街灯の光を透過すると、雲母のようにキラキラとしていた。

 

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その点、菖蒲は姿形が端整だ。

 

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鴫立沢も若葉を元気に出している。

 

 

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昨年秋に矢車菊の種を大量にばら撒いたのだが、ほんの幾つかだけ実生で育ったようで、たった2輪の花をつけた。

 

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ほぼ同じ場所に植わった紫陽花の花色が異なる不思議。

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我が家の巨大な碧瑠璃蘭鳳玉も花を咲かせたが繁殖相手不在。

 

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ジューンベリーの実が色づき始めた。最初に赤くなったこの実は翌日には無くなっていた。ここぞという日に収穫しないと、小鳥達に持って行かれてしまう。

 

そんなわけで大した量でもなかったが収穫してジャムにした。

 

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ど素人父、5歳児とオートキャンプ@わんダフルネイチャービレッジ

  • 大雨注意報が出た日の雨上がり

  • 初めてのテント外泊
  • 初めてのキャンプ調理
  • 素人父
  • 犬連れ
 
愛犬マンゴー殿の8歳の誕生日とあり、普段は留守番させられることの多いマンゴー殿を主役にした一泊旅行を組んだ。テントに泊まって家族と同じ寝袋に寝て、昼は多くの犬とリード無しで駆け回る、泳ぐ。そんなわけで東京のあきる野市、秋川沿いにある「わんダフルネイチャービレッジ」に行った。ここは市街地も近く、必要があれば病院にも動物病院にも駆け込みやすくて安心。

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ちなみに全犬種用の一番広いドッグランは白い大型犬の集いがあって、まだ躾の緩い子が唸ったり吠えたりでなかなかの迫力だった。

 

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地面に降り立つと白い大型犬に揉みくちゃにされるので、マンゴー殿は高所から降りない。

 

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犬用プールもあるのだが、8歳まで泳ぐ楽しさを知らずに生きていたのでマンゴー殿は傍観するだけ。

 

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男の子達に腹を撫でられてご満悦。タイなんかでは2人にマッサージしてもらうフォーハンドマッサージなんていう豪華コースもあったが、これは3人によるシックスハンド。とてつもなく気持ちが良いに違いない。

 
ここからは素人父子オートキャンプの備忘録
 
テント
ドッペルゲンガーの1人用ツーリングテントは設営時間が5分もかからないので非常に楽だ。折り畳み傘の要領で開けば張れるという優れもの。広さも大人と5歳児、小型犬1匹ならばやはり問題ない。

 

しかし周辺のキャンパーは4〜6人用の寝室と居間の連結された大型テントばかりで、特に雨の日は羨ましい。ただし、設営にかなりの時間がかかること、小学4年生の双子のいる家族を見ても子供は戦力にならず父母の二人掛かりでテントの設営や撤収に励んでいた様子を見るに、父子だけで行くならば1人でも手軽に張れるテントのほうが良い。
 
テントに入る前に犬の足を拭く。濡れては困るが中に入れたくない靴を置く。そういった理由で居間スペースのあるテントは便利だが、手軽に、機動的に対応するとなるとやはりタープを手に入れるのが良さそうだ。
 
蚊や蛾がやってこないとストレスが大きく減るが雨の日だと蚊取線香も焚けない。防雨防滴の蚊取線香カバーを入手するか、陶器で自作する。あるいは大型タープに蚊帳を張れないものか。
 
折り畳みの椅子も欲しいところだ。案外、地面が濡れているとテント以外に座る場所がなくて難儀する。
 
マット、寝袋

 2人用だが、ジッパーを外すと1人用2つにも使い分けれるという優れもの。耐寒温度-5℃というのは少し眉唾。そんなに中綿が分厚いわけではないので、ある程度は着込んで寝る前提だと思う。

 気温20度前後だった。テント内用のグラウンドマットはこちらのものを買ったが、グラウンドマットの上と比べ無い部分の底冷えはなかなか強かったので断熱性はかなりのものがある。また、巻かないタイプなので端が丸まることもなく快適。クッション性も良い。もう一つ買い足しても良いと思った。

 
照明
充電乾電池式のLEDランタンをテント内に吊るす。予備に太陽光蓄電LED。そしてヘッドLEDランプ。
他の家族を見ると、コールマンの4灯着脱式のやつが相当売れていることがわかる。大勢で来る家族キャンプならばとても良さそうだ。
小さなテントで機動力重視のキャンプをするには、人数分ヘッドLEDランプを備えるのが最善かと思う。両手が自由に使えるようになるし、視線の方向を常に照らせる。防災用としても最適だと思われる。
 
 
バーナーとコッヘル
今回、初めてバーナーとコッヘルを持って行って息子と簡単な調理をした。
イワタニ(Iwatani) カセットガス ジュニアバーナー CB-JRB-3

イワタニ(Iwatani) カセットガス ジュニアバーナー CB-JRB-3

 

 カセットコンロ用ボンベを利用できるイワタニ製のバーナーを買ったが、これは優秀。相場がわからずとも、この値段でこの性能は素晴らしいことが直感でわかる。折り畳むと非常にコンパクトになる。カセットコンロ用のボンベを使うので高火力を長時間維持できる。さらに五徳部分が風防として機能するので風にも強い。大きな鍋を使いたいならば網台があれば良いのだろう。

スノーピーク(snow peak) アルミパーソナルクッカーセット SCS-020

スノーピーク(snow peak) アルミパーソナルクッカーセット SCS-020

 
コッヘルは容量の8割近くまで水を入れて沸かすと、煮沸の蒸気で蓋が落ちる。煮沸の泡が周囲に飛ぶ。もう少し筒状寸胴の深さのあるやつが便利かもしれない。
 
ラーメン、粉末スープ、珈琲程度では問題無し。ソーセージを焼くぐらいも問題なさそうだ。米を炊けるようにしたい。普段から炊飯器ではなく土鍋で炊くことには慣れているが、一回に炊く量と火力の組み合わせを学ぶには何回か練習が必要だろう。
 
 
反省点
カトラリーを忘れた。
ポータブルテレビは電波が悪いと電池の持ちも悪い
 
 
今後の課題
テントは防寒に着込むことはできるが蒸し暑さはどうにもならない。
 
完全に雨が降っていると現状設備ではしんどい。
 
備品を揃えるとしたらタープ、グラウンドマットの追加購入か。
 
 
防災という観点からすると、4人以上の居間付きの大型テントの方が居住性は良いのだろうな。キャンプに興味のない嫁さんの助力無しに一人で組み立てるのはしんどいし、防災用に備えて置くだけならば価格も高くて悩ましい。

専業主婦の達成感の感じ辛さと子への依存、教育ママ化の理由を垣間見た気がする

 
  1. 専業主婦が達成感が感じ辛いしんどさの一端
  2. 教育ママと化す心理の一端
  3. ドラマに出てくるような出来が悪い子供を認められなくなるエリート親の気持ち
  4. 親としても最善を尽くさないといけないという強迫観念の源泉
そんなことを垣間見た気がする。
 
 
 

中国とインドから帰国し、家の手入れや掃除に1日をあて、そして親戚を4人ほど招き長男の誕生会を開いた。

 
私の兄が子供の好きそうなものをいつも持ってきてくれる。
 
一日中、長男は随分と興奮気味にはしゃいでいた。その反動で夜は少し情緒が乱れて泣いた。いつものことだ。子供の神経は繊細だ。
 
何年前かの同じ日に生まれたというだけで、主役になり、みんなから祝ってもらえるというその絶対肯定は子供が得られる幸せの原体験だなんて話を聞いた。
 
そういえば、親子家族の写真を部屋の目にできる場所に飾ると親から愛されているという自己肯定感が強まるなんて話を聞いた。何枚か印刷して部屋に張りだそうかと思う。
 
 
 
翌日、嫁さんに夜まで息抜きに好きに出かけてもらって息子二人と過ごした。
 
遊具のたくさんある大きな公園に行くと長男と同じ幼稚園の友達がいて長男は二人で遊んでいた。下の子は黙々と砂場で砂遊びをしていた。何かあっては困るから絶えず交互に子供を見守っていると自分自身としては何もできない時間が過ぎていく。
 
見守っていると、同じ月齢のその女の子のお友達と比べて、うちの子のほうがあれこれと拙いことが目についてきてしまう。喋りが拙い。遊具を登ったり降りたりが鈍臭い。ブランコを上手にこげない。その子が飛び抜けているわけではない。
 
 
 
そういえば、1年間他の子と同じように水泳の時間があったが泳力テストでは落ち続け、年中になってようやく上のクラスに上がった。どうやら、あまり運動が好きで得意なタイプではないらしい。いや、こんなことは遥かに昔から察していたことではある。
 
 
気づかないうちに、自分が子供の頃はもう少し上手にできたような気がするだとか、あれこれと比べてしまう。もどかしい。根底にあるのは、才覚や要領が悪いと世の中は飛躍的に苦労が多く生きるのがしんどくなっていくと私自身が感じていて、子供には乗り越えていく強さなり特技を持って欲しいという心配と願いがある。
 
半年以上前に似たような泳力だったお友達が、いまや二つ上のクラスに上がっていたという話を聞いた。お爺ちゃんが水泳の先生で、特訓してもらっているのだという。それを聞いてなるほどな、と少し安堵した。そんな特訓を受けていたのだからその子は特別だと。しかし、はたと思い返すとたまにいく市民プールでは大抵、父親に水泳を教わる幼稚園のお友達がいた。他の子と同じ時間だけ泳いで出た差ではなく、子供の泳力はその子自身の適性や能力と親のサポートの和であることは一部で事実だ。
 
「子供の成功は親のサポートの賜物」。これがどれだけ事実なのかはわからない。しかしこれこそが親の悩みの大きな根源かもしれない。
 
 
 
 
これは子供の成長や成功が親としての達成感の尺度になりやすいことを示唆する。
 
仕事は昇級や昇進、肩書きなどで目に見えて自分へ評価が可視化される。給料が生活を支えているという単純な事実に裏打ちされて仕事の重要性には疑問を挟む余地は少ない。専業主婦の達成感はどこで得られるのだろう。家事洗濯の手際が良くなっても褒める人はいない。料理が上手くなれば食べさせる家族からは褒めてもらえるかもしれない。しかしそんなことは少ない。(もっと嫁の料理に感謝し褒めるべき)
 
 
 
同じように受験競争を潜り抜け、就職活動をし、男と肩を並べ、あるいはそれ以上の仕事をして認められてきた有能な女性達が結婚出産を機に評価軸の不明な家事育児という世界に放り込まれる。
 
暇が苦痛であるように、自分への客観評価軸が不明な世界というのは想像すればするほど実は恐ろしい状況なのではないか。子供を見守る以外に何もできない時間を過ごしてあれこれ考えていると、こんな日々が毎日続き、何年も続くことを想像すると吐き気がしそうだった。そうしている間にも自分の若さや可能性が失われていく喪失感が追い打ちをかける。仕事をそれなりにしてても中年クライシスに陥っているぐらいなのに、元々仕事をバリバリしていた主婦の葛藤はそれの比じゃなさそうだぞ、と気づいた。新緑の下、涼風の吹く陽だまりが不毛な荒野のように感じてくる。
 
インテリアに心を砕いてオシャレな家を作り上げ、ママ友を家に呼んで褒めてもらう。弁当をデコって子供や友人に褒めてもらう。そして最たるものが、子供の習い事や学業での成功を自分の親としての業績評価の指標として没頭していくこと。そこに自己発露を求めていってしまうことに無理はない。親としてさらに子供をサポートすれば、もっと子供の習い事や学業の成績が良くなる。限度のない世界が口を開けているわけだ。
 
しかしそこは子供の優劣比較を通じて親同士の出来不出来を比較する世界なのかもしれない。子離れできないアスリートの親や、これが子供を東大に入れた私の教育方法ですなどと表に出たがる母親の様も説明がつくように思える。
 
子供の成功を親としての成功尺度としてしか捉えられない時、期待に応えられない子供を認めないエリートの親のような醜い姿が生まれるのだろう。子を子として見られず、自分の親としての「劣」評価を意識させる存在として捉えてしまうのだろう。
 
 
 
 
 
他人と競うこと、目に見える成果を出すこと、他人からの評価に自己肯定を委ねること。社会人としてそれらにいつの間にか心の芯まで浸かっていることに気付かされる。
 
お受験なんて世知辛い。伸び伸びと育って欲しい。健康に育つなら何も言うまい。好きなことをやらせたい。呑気にこんなことを言っていたが、そうできるためにはもっと肝が据わらないといけない。親に芯や軸がないと、子が親の道具に陥る危険性を感じる。
 
愛情さえ十分にかけていれば子は育つと思っている。親としては子に可能な限り機会さえ与える努力をした後は、どんな結果も受け止めるべきなのだろう。子供が何に秀でようが苦手としようが、それを親としての過不足に結び付けないことが子を絶対肯定して受け止められる道なのかもしれないと思った。
 
うちの子供は遅れてるんじゃないか、という心配を掘り下げたら自分が親としても人間としても未だしょうもなくて未熟だという地点にたどり着いた。肩書きも職権も職歴も学歴も年収も住まいもローン残高も妻子も親も全て取り払って何を持ってして自分を肯定できるのかに答えを得たい。子供に過干渉することなく暖かく見守る親ってのは、仕事に没頭して出世に励む親よりも胆力と器が必要なのだと思う。
 
それにだ、蓋を開けてみたら、結局のところ息子のほうが私なんかよりも遥かに優秀で性根の良い男に育つのかもしれない。息子とて親父にできない呼ばわりされる筋合いはないというだろうよ。
 
 
子供の公園遊びを見守るのは、こんな長文が書けてしまうぐらい手持ち無沙汰だった。仕事の意識で家事育児をしたら、イライラして過干渉になって碌でもない親になりそうなことも分かった。あと、嫁さんを見直した。
 
 

小説「スペードの3」「仏果を得ず」に自己投影

「スペードの3」

「何者」で戦後最年少直木賞を受賞した朝井リョウの作品。

子供たちの嫉妬や不安、加虐性、優等感、劣等感などは誰もが少なからず似た経験をした青春期の思い出として苦く生暖かく受け入れられがち。その一方で大人の嫉妬や悪意は肯定しようのないものだけど大人になっても子供の頃と変わらずに持ち続けているのではないかね。

 

そういう内心の醜さや葛藤を描かせたら巧い朝井リョウの洞察と勘繰りは著者本人のことが心配になるぐらいだ。

 

「何者」では表面的な友達づきあいの裏の卑怯さや卑屈さを鋭く抉り出して白日の下に曝すだけだったが「スペードの3」では誰もが持つ暗い面を受け入れてなお開き直り自らを変えていこうと一歩を踏み出す希望も描かれる。

 

つかさという劇団女優の描かれ方が興味深い。No1にはなれないスター。ファンからしたら雲の上の存在かもしれないが、本人の視座からしたら尻すぼみの冴えない女優。優等生でこれまでもそつなくこなし、それなりに境遇や能力にも恵まれ、物語の主役になるような悲劇もドラマもない。そんな自分を受け入れ、開き直ってまた一歩を踏み出していく。

 

スペードの3

スペードの3

 

 

「仏果を得ず」

三浦しをん文楽の世界を題材に描き出した良作。自分には縁遠い世界を垣間見せてくれる作品は好きだ。この作品を読んで、文楽を観てみたくなった。三浦しをんの作品は職業疑似体験の宝庫ではずれが少ない。辞書編纂者、樵、探偵などなど。

 

単に文楽を極めんとする技芸員たちを描くに留まらず、作品中の登場人物の心情を理解しようと奮闘する過程で文楽作品の様々な登場人物の一見わかりづらい心情と生きざまが描き出されており濃密な作品だ。

 

他人からしたら愚かで衝動的で刹那的にしか見えないかもしれないが、本人としてはどうすれば正解なのかわからない苦しさの中で、思い詰め、すがるしかなかった手段。誤解やすれ違いが重なり、膨らみ、誰も悪人がいない中で誰もが不幸になっていく。ハリウッド映画の「21グラム」を思い出す。仮名手本忠臣蔵に描かれる忠臣にはなれなかった早野勘平の心情を解き明かす過程をクライマックスに持ってきている点が秀逸。

 

仏果を得ず (双葉文庫)

仏果を得ず (双葉文庫)

 

 

 

 

「仏果を得ず」に描かれる技芸員ほどに、極めたいと思う何かを自分は持ち合わせてはいない。極めたいと思える何かを持っている人が羨ましい。まわりがどう評価しようが自分の価値観と美意識で極めたいと思えるもの。

 

自分の今の仕事を極めたいと思ったことはないし、今後もなさそうだ。では陶器の道はどうだろう。何も文楽の世界も誰もが一人で極めようとしているわけではない。太夫と三味線が競い合い、高めあっていく。志を同じくする作陶仲間に巡り合えたら、今の仕事を捨て、子供との時間すら斬り捨てて作陶に没頭できるだろうか。自分の頭の中の理想を目指して釉薬の数百万の調合組み合わせの世界に足を踏み入れられるだろうか。多肉植物が好きだからと言って、新品種の作出に時間や資金をなげうてるだろうか。

 

たぶん、私は劣化版の「スペードの3」における「つかさ」なのかもしれない。属性や境遇などの表面的な情報だけを他人に伝えれば、私の今までの人生はけして最良ではないが誰も悪いとはいわない要素ばかりだろう。むしろ小学校の同窓会なんかにいけば憧れたり羨ましがられる要素に恵まれているかもしれず、成功した一人、幸せそうな一人に分類されるかもしれない。自分を客観視すると、親の愛情も得て経済的に困窮することもなく育った。逆境をバネにするような不幸や試練のエピソードなどもないし、突き抜けたことも何一つ無いと思う。武勇伝になるような振る舞いも何一つない。何事も要領よく、そつなくこなしてきた、が自分自身の正確な描写なのだと思う。

 

胸を張れるような社会貢献もしていない。そんな冴えなさにこれで良いのかと暗い気持ちになることもある。これだけ恵まれた状況で幸せを感じられない自分自身の性根を申し訳なく思うこともある。胸を張れるような社会貢献ができている人からすれば、行動すればいいだけだ、行動しろよと思われる気がする。頭では分かっているし、すべきかもしれないが何をしたら良いのか頭の中で像が結べていない。仕事も迷惑はかけたくないし、それなりに良い夫であり父でもありたいし、本を読んだり作陶したり余暇も必要としているし。そうこうしているうちに日々は過ぎてしまう。その結果、することなすことが半端に終わっている。だからどうしろというのだ、という鬱憤や葛藤を半端なりにその半端な目の前の物事に精一杯ぶつけているという意味では「仮名手本忠臣蔵」の「早野勘平」に通じるのかもしれない。

 

悲劇性に欠けた半端な「早野勘平」に通じる自分は「つかさ」ほどに開き直って一歩を踏み出すところまで達観もできていないというわけか。10年後にこの靄は晴れているのか、より深くなっているのか。如何に。

次回出張の為のムンバイ備忘録

ホテル送迎はとても高く3000INR近く取られる。PrePaidタクシーでも問題ない。

 

到着ロビー出口右手のPrePaidタクシーはエアコン無しで400INRだった。他は1000や1400と値段はバラバラ。

 

国内便に乗る際には必ず事前e-check inしておくこと。

 

市内移動はUberが圧倒的に便利。エアコンの効いた比較的新しい黄色のナンバープレートをつけた白いセダンで料金は決まっているし、回り道もしないし、タクシーよりも安い。値段交渉の煩わしさもないし、道がわからなくて目的地まで辿り着けないこともない。タクシーはメーターを使わずに割高固定料金で乗せようとしてくるし、到着後に高値で吹っかけてくる。行き先を知らなくて道を間違えたり、目的地周辺であたりのタクシーに道を聞いたりウロウロ迷ったりと非効率。

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ホテルからやインド人が一緒にいる際には会Uberが利用できるが、目的地から帰る際にUberが利用できない。会社携帯にアプリを入れるよう準備しておくべき。

 

調子に乗って辛い物は食べないように。赤いカレーが辛いとは限らない。気をつけるべきは黄色や緑のカレーに潜む緑の唐辛子。

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欧米人は辛さへの耐性が日本人以上にないのでビジネス会食はイタリアンが無難。リゾットはどこも比較的美味しい。

 

国内を旅をする時もトイレットペーパーを持参する必要はなかった。ホテルで必ず済ませるべし。

 

酷暑の中は水をこまめに飲み、昼御飯は慣れないものを口にするぐらいならビスケットや柿の種をつまんで凌いだほうが体調は管理しやすい。

 

現地の人と食事のご相伴にあずかり親交を深めるならば、腹痛に倒れても支障無いように国内旅行は出張日程の最後に組むべし。

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笛ラムネは最強。言葉が通じなくても伝わるし、子供と遊べるし、食べて消えるし、宗教上懸念もない。延泊して史跡観光するならばたくさん持っていくべし。

 

ムンバイ国際空港のGVKラウンジの食事はけっこう美味しい。外で食べるよりはラウンジで食べるべし。

 

使いっ走りのなんだか愚痴のような吐露

総じて強行スケジュールだ。

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上海では4日間で33の面談や会議、そして夜には会食。酷い日には1日9つの会議と会食。金曜日は新卒の子と久しぶりにゆっくりとあれこれ話をしながら飲んだら2時になった。
 
土曜日は夜22時上海発、夜中の3時にデリーを経由して明け方5時半にムンバイ着。ビジネスクラスなのだが、会社の携帯を機上で失った。途中降機した客にすられた可能性が高い。遠隔でデータを消す処理申請やらあれこれに忙殺される。

 

ムンバイでも会議漬けの日々が始まる。9時から19時まで会議。翌日も9時から19時まで会議、そして会食。その翌日はホテルを7時半に出て別オフィスに行きこれまた18時まで会議の連続。そしてインド担当部下と23時まであれこれ話し込んで終了。

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4日目は4時半起きで7時の飛行機に乗りバンガロールへ。バンガロール空港は郊外にありオフィスまで1時間半もかかった。そして5時間会議をして日帰りでムンバイに向けてまた6時間かけて帰る。行きも帰りも飛行機は安定の30分遅延。
 
最終日は午前中は会議、午後は街に出てひたすら市場視察。所得階層ごとに異なる店を見て回る。そしてそのまま空港へ。帰国便も夜行便で日本には朝の7:50着だ。

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いやあ、よう働いたよ、我ながら。でも日本にいる人からしたらあれもこれも滞って勘弁してよ、返事してよ、と思っているかもしれない。隙間隙間に最低限のメールの返信はしたが、日本に帰ったら大量に仕事がたまってるのだろうな。ああ、めんどい。
 
せめてもと思い、土日にエローラとアジャンタ観光をすることに。
 
 
インドの仕事は、こんな問題はインドでしか起きないわな、ということがあったりで厄介極まりない。議論しても紛糾して進まずということもある。
 
ゴールデンウィークだしさっさと日本に帰って子供と遊ぶべきだとも思う。しかし2日間滞在を伸ばしてアウランガーバードに足を伸ばしてとても有意義だった。

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アジャンタやエローラの石窟や仏教芸術を観てインドへの尊敬の念を今一度、感じることができた。そこら中で話しかけてきて、一緒に写真を撮ろうとせがんできたり昼飯に誘ってくれる人懐こいインド人に多く逢ってなんだかインド人を好きだと思えた。
 
42度の猛暑の中、水をガブガブ飲みながら、シャツに塩の結晶を吹き出させながら石窟や砦の石段を登り降り歩き回った。二週間の上海、ムンバイ出張の後なので肉体的には疲労の追い討ちでしかないのだが、心が生き返った気がしている。
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街に出て、旅に出て、なんの関わりもない現地の人に触れて、子供達と笛ラムネで遊んだり、こちらが食べ物をもらって一緒に食べたり、なんてことはないお互いのことを話す。そんなのが精気を取り戻させてくれる。
 
なんだかインドの人とインドの仕事の為に頑張っていけそうだと実感した。自分の仕事だから、という理屈ではなくインドに愛着が湧き、インドのために頑張ろうと思えることは形式では測れない意義があると思う。こんな勝手を許してくれる嫁に感謝。

生活に溶けこむインドの動物達



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聖なるわけでも不浄なわけでもないから食用。

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教会の下で眠る犬。

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 黄昏てみる犬。

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野良犬はやがて世界各国共通の型に辿り着いていく不思議。歪みが少ない平均に近い顔が美人の顔ならば、この野良犬の容姿こそが美しい犬の姿とも言えまいか。

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野良猫は野良犬に比べて少ない。ベジタリアンが多いインドでは動物性たんぱく質の含まれる残飯にありつけにくいので猫には不利なのだろうか。

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Holy COW!なんて叫ぶインド人はいまだ会っていない。

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 インド人の顔の違いより牛のほうが識別しやすいような気もする。

 

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 栗鼠が西瓜が好きとは知らなんだ。縞栗鼠だね。鎌倉の鶴岡八幡宮に住まう栗鼠は実は渡来の台湾栗鼠。こいつはどうだろう。


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何種類かのサルがいる。こちらの手長猿のほうが原始的な振る舞い。

 

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ガジュマルの下で手下にノミをとってもらうのは極楽至極。

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おーそこそこ。人目も憚らず気持ち良さげ。

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あ。。。(目を逸らす子猿)


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最後の晩餐、一人で淋しくホテルで食事していたらフリーダがご一緒してくれるというから期待したらおまえかよ。何代目フリーダだよ。


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牛「ゴー ホーム!」


 インドは人と動物の距離が近い気がする。人の日常のすぐ脇に動物が暮らしているのだが、でも犬猫にすら名前は付けられていない。なんだか不思議。