天地明察

久々に熱く面白い小説を呼んだ。碁を持って仕える碁打衆の家に生まれながらも、算術と暦術でもって800年以上使われてずれが著しい宣明暦を日本史上初めてとなる和暦に改暦するに至るまでの話。
家業の定めによる制限に苦しみながらも己の自己実現を果たしていく克己の話であり、当時の徳川治世の直面する困難や文治政治への転換における深遠な改暦の意義の読み解きはわくわくとさせる。後世に碁聖と称される本因坊道策とのからみ、和算の創出者である天才関孝和とのからみなど彩り豊かでもある。専門的な話を理解せずとも師や友人、女性との出会いと別れの物語としても読める。


思えば物語の主役に足る傑人や問題児を多く排出した時代でもあると思う。関孝和、道策に限らず、赤穂浪士、水戸光國、新井白石保科正之徳川綱吉、大奥の江島などなど、誰を主役にしても面白い物語になる。


先日、新井白石を題材にした藤沢周平の小説「市塵」を読んだ。世の中を動かした彼の数々の建議が晩年に政権が変わると政治的な思惑によって内容の善し悪しをよそに塗り替えられていく様になんともいえないやるせなさを感じた。同様に、これほど苦労して様々な権威や因習と戦いながら800年続いた宣明暦を改めたにも関わらず、史実では僅かに70年後に粗悪で誤謬著しい暦へと政治的思惑で変えられてしまっている。当の本人が知ったら悲しむに違いない。名誉が傷つけられるからというよりも、新暦の誤謬を受け付けられないだろうし、人々の暦と算術の理解の無さを嘆くだろう。
新井白石の人生をかけた改革も渋川春海の改暦も水泡に帰したのは、ともに徳川吉宗の意向だというのは不思議な共通点でもある。徳川綱吉が暗愚で治世があまりに酷かったが為に、善いものも悪いものも改められてしまった印象がある。
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ちなみに巷では玉の輿という言葉が羨望を込めて使われる。これは八百屋の娘から徳川家光の側室となり、次の将軍の生母となって権勢を振るったお玉がモデルになっているらしい。玉の輿に乗りたいなどと言うのを聞くと、その結果産まれてくるのは愚かで人を苦しめる綱吉のような馬鹿息子かもしれないぞ、と水を差したくなる。


さらに余談だが、昔の勘定方には養子が多かったらしい。それは係数感覚というものが多分に天賦のもので、持ち合わせていない者には勘定方がなかなか勤められなかったからだそうだ。ならば渋川春海の創設した天文方など高等算術を要す最たるものだから世襲は適さない。必ずしも能力を備えていたとは言えない世襲した子孫が天文方を継いでいたことも70年で粗悪なものに改暦されてしまった遠因に思う。


変化し続けることだけが唯一の永遠とは誰の言葉だったか。