高円寺の良いところ。「こころみ」カフェ、「ハッピー」ハンバーガー

高円寺の飲食店の好きなところ。これはやはり、バイトばかりのチェーン店よりも顔の見える個人経営店が多いことに尽きる。高円寺で複数店舗展開している系列店もあるが、高円寺界隈で4、5店舗といった塩梅。いつも同じ顔がいて、今日は特別にどこどこ店からヘルプなんですよ、と話してくれたりする。

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わたしの好みの隠れ家的穴場レストランカフェ「こころみ」でルーマニアワインの食事会が開かれた。ここは普段から独創的な創作料理を美医食同源のコンセプトのもとに天然素材にこだわって出している店で、今日はその料理に8種ものルーマニアワインを合わせるという企画。

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私がルーマニアで働いていたのは17年前で、その当時のルーマニアワインはお世辞にも洗練されたものではなかった。ソ連邦に属した共産主義時代は加盟各国に貢献する生産品が割り振られており、夏は乾燥し日照に恵まれたルーマニアの環境を見込まれ、小麦やワインの生産が盛んだった。しかし質よりも量が重視され、一本の葡萄の木から何本ものワインを収穫することを目指すようなワイン造りだった。17年前当時も安く、軽く、薄いワインを時にはコーラやらと混ぜてガブガブと飲む状況だった。

 

それからEU加盟もあり、フランス、イタリア、スペインからの技術移転もありルーマニアワインの質は劇的に向上した。しかし格付けが値段に顕著に反映されるワイン業界においてルーマニアワインはまだ安い。欧州におけるアルゼンチンワインのような位置付けではなかろうか。

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私がいた昔にはこんなに美味しいワインは簡単には見つからなかった。

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食事の上でのこの日1番の収穫は、蕎麦ソムリエなる人が来ていて、常陸秋蕎麦というとても美味しい蕎麦を打って出してくれた。しかもツユではなくオリーブオイルと粗塩で頂くというもの。それがあんなにも蕎麦の風味を味わえて美味しいとは知らなんだ。こればっかしはルーマニアワインに合わせるのは建前でただ客に極上の蕎麦を食べてもらいたかっただけだと疑っている。

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ルーマニアワインの宴の15席は満席で、那須塩原や愛知などの遠方から来られた方もいた。しかし殆どの方は高円寺在住で、しかもお寺の住職の奥様だったり、母娘で歌手をされていたり、語学スクールやプレタポルテの工房を経営されていたりと面白い経歴の方が多かった。「こころみ」の店主の人柄を軸に繋がったお客さんであり、時には協働する仲間たちといった印象。地域に根差して、面白い人達の繋がりの網が素敵だと思った。

 

 


その「こころみ」の近くを別の日に歩いていて、あまり通ることのない路地に「ハッピー」というハンバーガー屋さんを見つけた。

 

店主に聞くと2017年の夏に開業とのこと。1,000円〜1,500円程度の価格帯で大きなハンバーガーにフライドポテトが付いてくる。

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アボカドチーズバーガーを頼んだが、私なんかが指摘できる欠点などなく美味しい。炭火焼きでパテに脂のこってり感が残っていないのが嬉しい。カリッとしたバンズ、トマトの肉厚感。

  • しっかりとした量と味のグルメバーガー
  • 長いハイカウンター席
  • ビールカクテル、シードルカクテルが豊富。
  • アメリカンダイナーのようなカジュアルな内装
  • まだ混んでいない。ここまで来て入店できないことはなさそう
  • 感じの良い若いお兄さんがやっていて、独りぶらりと来て雑談して帰るのに乙
  • きちんと躾けられて迷惑をかけない犬ならばOK!

 

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高円寺にもいくつかグルメバーガーの店がありますよねという話になって、ファッツが閉店したことを聞いた。吉祥寺に移転したらしい。樽のような太った白人のおっさんが、いかにもハンバーガー大好きといった空気を纏ってハンバーガーを作っていた。好きだった。

 

新高円寺の環七と青梅街道の交差点近くにも「バーガーズカフェ グリルフクヨシ」というグルメバーガー屋が出来たが、しっくり来ない。看板もメニューも綺麗に作り込まれたチェーン店で店員のハンバーガー愛をそこまで感じないのだよな。テイクアウトの店員が忙しげに行き交うのも落ち着かない。偏見持ちで申し訳ない。雇われ感が滲んでいるというか。テーブル席主体で作られたら料理が提供されるだけ。一人で食べに行っても、独り無言で食べて出るだけだった。

 

ISLETという中野五差路近くの店は遠くてもはや商圏が違う。残るグルメバーガーはエルパトだが、あそこもテーブル席で誰かと行く店の印象が強い。いや、カウンターもあったか。ハンバーガーの為のバンズを独自開発するほどのハンバーガー愛に溢れ、テラス席が気持ちの良い店だ。

 

高円寺北のエルパト、南のハッピー。南北の両横綱。そういうことにしよう。

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なんだか、大きな後ろ盾なく頑張ってそうなこの店に肩入れしたくなる。何せハンバーガーは美味しいし。以前、自分でも作ってみたがなかなかこんな風に美味しくパテを焼けないのだよな。新宿にバンズをわざわざ買いに行って作ったことあります、なんて話をしたところ、即座に「峰屋さんですか」と返ってきた。彼の出すハンバーガーは彼がいろいろ研究を積んだ末の彼にとってのベストバーガーなのだと思う。ちなみにパテはアルミフライパンではなく、炭火鉄網で焼くと縮みにくく美味しく焼けるそうな。

 

「こころみ」「ハッピー」を通じて何が言いたいかというと、一人で行っても孤独を感じずに適度な距離感で気安く入れるような店を私は高円寺に求めている。全く独りもつまらないし、友達に声かけるのも煩わしい時に程よい雑談相手になってくれる店。それに応えられる店が多いのが高円寺の魅力だと思っている。友人知人と食べに行ってももちろん楽しめるし、一人でもなんとなく人との接点を感じられる。独り身に居場所がある街。

 

いつまで掛かっているかは知らないが、ハッピーには壁にストリート感あふれる若くて素敵な女性の写真が並べてある。マスターの歴代彼女か、是非聞いてみて欲しい。

 

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暖かくなったら犬の散歩がてら、店先の椅子で頬張るのも良いかもな。小さなコーヒーテーブルがあれば理想的。


ハッピー ザ バーガースタンド

【火〜金】12:00〜15:00 / 18:00〜22:00
【土日祝】12:00〜19:00

月曜休日


 

日陰にいる話題性の無い職人や作家を輝かせたい

外部の講演に勉強しに行ったりするのだが、某有名大企業の最年少取締役だとかそういう人が、とても熱量を持った話をしていて、敵わんな、と思う。経歴は輝かんばかりで、成功するべくして成功したような武勇伝と自信に溢れている。そんなに仕事に全てをかけたこともないし、断固とした不退転の決意で勝負をかけたこともない自分としては異国の人に見える。世の中には凄い人がいるもんだな、と。

 

電通の最年少取締役だった有名クリエイターが、有名なプロガー作家に酷いパワハラ・セクハラをしていたことを最近、告発されていた。昔はセクハラへの認識や意識が低かったが学んでそれらを悪しきことだと認識した、というようなことを釈明謝罪文に書いているが、セクハラといった言葉や認識がなくとも人格の問題だろうに。クリエイティブの天才は見苦しい弁明で自らに留めを刺して地に堕ちた印象。情報社会の私刑を回避し損ねてしまった。

 

神戸開港150年に合わせて世界一のクリスマスツリーを作るという企画があり、プラントハンターの西畠清順氏が取り上げられていた。植物好きの私としては氏は雑誌に幾度も取り上げられており以前から知っていたがその内情が今回の炎上事件で漏れ伝わるにつれ、彼への理解と印象が根底から揺らいで悲しい限りだ。

 

  • プラントハンター本人が探したわけではなく推薦・紹介
  • 山奥の焼け残りではなく民家脇の樹木
  • 移植と説明されていたが企画後は製材
  • 樹齢は150歳ではなく推定250年
  • 「落ちこぼれのアスナロ」と説明されたがヒノキアスナロという別種の青森ヒバの優材
  • 本人は保護林で採取し逮捕歴あり
  • 成人後に親の造園会社に入社し、植物の専門的な勉強は無し
  • 親への罵詈雑言を一方的に公開 内容に異論反論あり
  • 神戸の被災者への鎮魂が主旨のはずが、「ツリーを見るのが嫌な人は見なければ良い」との発言

http://iina-kobe.com/entry87/

http://iina-kobe.com/entry89/

 

 

 

ドロドロとしたことが溢れ出てくる。真偽のほどはよくわからないけど、雑誌で描かれる純真爛漫な植物愛好者、冒険家というイメージを持ち続けることは厳しい。誰も疑わないうちは自己演出が効いていた商売上手だというだけだったのか。「心を掴むために」細部を大衆の受けが良いように「アレンジ」することを積み重ねてきた様子。「ロックフェラーセンターのツリーは全世界でニュースになるから、同じ日に俺が運んだ世界一高いツリーで世界中を驚かせる」などの発言が自分の名を売るための利己的な人と思わせるのだろうな。

 

 

かつて、カーリー・フィオリーナは古い経営を否定した時代の旗手として、女性キャリアの一つの頂点として崇められていたっけ。今や、歴史に残るCFOの悪例とまでされている。乙武さんも強烈な堕ちた偉人の一人かもしれない。個人的に失望感が強いのはレインマンで名演したダスティン・ホフマンがセクハラで訴えられていることか。残念極まりない。

 

完璧な人はいないのだろうけど、心の中で長く尊敬し続けられる人というのがなかなかいないものだ。昔はプライベートや本人の二面性が表沙汰にならなかったからか、あるいは他人には検証不可能だったのか。世間では英雄、近しい人たちからは否定的な意見、というのは案外と多いらしい。情報社会というやつは派手な神話が作られやすいがその虚構も暴かれやすく、長く語られる偉人の生まれにくい世の中なのだろうか。

 

少なからずエゴイストで自己顕示欲が強くないと広く認知される現代的な成功者にはなかなかなり得ないのか。メディアが飛びつく売り出しやすい見た目やエピソードを持った人。人が気にしないであろう細部は虚飾して、世間が目を止める成果を効率的に、時に強引に積み上げていく人、それらを声高に自己主張していく人が階段を駆け上っていく人達なのかもしれない。細部を詐称捏造していても面白い話を持ってきてくれる人の方がメディアには重宝されるし、詐称捏造がばれてもメディアも私達も騙されたのです、と被害者ヅラして検証作業や裏取りを怠ったことを棚に上げやすいのか。

 

炎上したプラントハンターの西畠清順氏や元電通の岸勇希氏など炎上した元英雄の共通点は何なのだろう。その実力、権限、資格に伴わない富や名声や便益を不当に得ていたこと、公の言動と裏の素行が乖離していたことに対する怒りなのかもしれない。岸氏の場合は実力はあったが、だからといって若い女性を隷属させたり肉体関係を強いることが許される資格などない。

 

 

私が尊敬する宮大工の西岡常一氏。彼とて、近くで知る人柄は世間に知られているそれとは違うのかもしれないが、少なくとも不相応な利益や名声を得ようとする人ではなかったように思う。

https://matome.naver.jp/m/odai/2133460802374863301

 

 

虚飾に溢れて本物がわかりづらい世の中。尊敬する人として現役の著名人を挙げるのが憚られてしまう。なんだか残念だ。私みたいな人間には安心して慕うことのできるヒーローが欲しい。

 

華々しい経歴や武勇伝に溢れ、自分の売り出しの得意な人に比べて、脚光を浴びることなく富も名声も得ることが不得手だけど地道に何か素晴らしい伝統工芸を生み出している作家や職人。そういう人達をサポートできる仕事がしたいなあ、と思った次第。

 

例えるならば元ヤンキー先生よりも苦悩しながらも先生を長く続けている話題性の皆無な良先生。そんな職人や作家を支援したいのだよ。

 

 

一週間ほど前に、前職の同僚と銀座で食事をした。

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行ったのは残念ながらすきやばし次郎ではない。たまたま通りがかって撮っただけ。

 

前職の近況を聞いた。もう私が在籍した最盛期の1/3ほどの組織規模になってしまい、知っていた人は殆ど辞めてしまっている。私が残したものなどあるかもわからんし、あっても誰も知らんだろう。振り返ってみれば出会いもあったし学びも多かったけど、離れてみれば綺麗さっぱり、あっさりとしてるものだな、と。

 

勘違いだろうとも、自分で納得のいくこと、胸を張れることをもっと考えていくべきなのかね。悶々。

 

 

 

西畠氏は犯罪を犯したわけでは無い。彼が大衆受けの為に見せようとした本人像と実態が根掘り葉掘り検証してみると違うから叩かれているが、彼は彼の信念を持って事を成している。世の中で大きな企画を実現するためには、馬鹿正直にやっても見向きもされんだろ?そういうエゴイズムをさらけ出して植物を使って自分の望む光景を生み出す人がいても良いのではないか。鎮魂の場を自分の成り上がりのショートカットの場にしたから不快に思う多くの人に曝されてまずかっただけ。そんな彼のスタイルが好みでないならば、自分の好みのスタイルで胸を張って何かに挑んでみろ、という自己叱咤な話。


珍しく愚痴。馬鹿正直にコツコツやっている人が割りを食らうケースをいくつか見て、 もやもやを吐露したくなった次第。

 

 

 

鹿鉢、酒器一揃え、瓦礫鉢、鹿絵沓鉢

 

 

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酒器一揃えが無事に焼き上がった。

 

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一合入れられる酒器は発色が悪かったのでマンガン窯変釉を掛けて二度、焼いた。その甲斐あってか、貫入の入った金属光沢を帯びた濃褐色の陶肌になった。

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ところにより金、黒、褐色の金属光沢が出て、光をあてると貫入が浮かび上がる。渋いねえ。満足のいく焼き上がりだ。これは厚掛けではなく、二度焼成しないとこうならないのだろうか。

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酒器に酒杯2個を添えたものを一式で包装した。人生で初めて、自作の陶器を人に贈る。なんだか、小っ恥ずかしいし、贈るに足る水準なのかも疑わしい。同僚の昇進祝いなのだが、まずは実父への祝いなどでもっと腕を磨いた方が良かったようにも思う。赤い緩衝材とともに包みながら、「女子かよ!」と自ら心の中で突っ込むこと数回。偏見。ええい、ままよ。モノ自体よりも気持ちと思ってくれればありがたい。

 

 

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黄緑がかった気持ちの悪い発色をしたものも上に重ね掛けして再度焼いたらこの通り。本来は断面を焦げた土肌にしたかったのだが、使用に耐えられる状態まで回復できたので良しとしよう。割れ目から生えるように、茎の長い多肉を植え込みたい。

 

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頭のでかい鹿を上から撮るとさらに頭でっかち。他の方からは木彫りみたいに見えるとのこと。

 

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クリスマスだからトナカイを描いてみた。角が沓型の碗を一周している意匠。

 

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頭を掻く犬の土片。余った土で手慰みに作ってみた。そういえば来年は戌年。犬を飼っているというのに、犬の正月飾りを作ってこなかったことを反省。

 

はよ、植え込んでみたい。

 

インターメディアテクと鹿

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仕事の関係で丸の内に行く機会があり、1時間ほど空き時間が生まれたのでかねてより行きたかったキッテという商業ビルとその中のインターメディアテクという美術館に足を運んだ。

 

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インターメディアテクは東京大学収蔵品が展示されたなんと無料の美術館。

 

お抱え外国人技師や教授の肖像画が展示されているのだが、生年と没年が皇暦表記だった。

 

 

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写真撮影不可につき、当館WEBより拝借。

 

古めかしい飴色の木製陳列棚に痺れる。焦茶の落ち着いた木の基調に強いピンクや緑が組み合わされ、なんとも上品でスタイリッシュで欧州のギャラリーのよう。パリのケブランリー美術館にも大いに感心したけれども、こちらもなかなかのもの。そうだ、こんな空気感と色合いの書斎を持つのが夢なんだ。

 

均等で連続的な陳列。主役のように開かれたガラス戸の中に鎮座する立派な鹿の頭骨。ここにも鹿が。

 

バビルーサの頭骨。脳天に刺さって絶命するまで伸び続けることも稀にある牙。それよりも上顎犬歯が鼻を突き破って伸びることが怖い。成長痛どころの話ではない。

 

タイマイの腹はさほど骨に覆われていないのに対しイシガメなどはガッチリと箱状に蓋をなしている。

 

ナナイロメキシコインコ。骨格標本に翼の羽根と尾羽だけがつけられている。その骨と羽根の対比が斬新。

 

ヒキガエルの大腿骨の方が、ネズミのそれよりも太い。

 

新しい発見だらけ。

 

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展示の空間と色彩設計が素晴らしい。

 

畸形角を持ったニホンジカの頭骨があって目と心を奪われた。鹿の頭骨から海サンゴが生えているような不思議さ。ここにも鹿。

 

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美術館を出ると、見上げる巨大なクリスマスツリーが聳えていた。見事な枝振り。

 

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 創業300年の中川政七商店の雑貨屋があった。向かい鹿の商標。中身はサクマドロップなのだけれども、パッケージ買いしてしまう類だ。マーケティングとデザインの巧みな人の力を借りれば古い老舗は何度でも甦る良例。

 

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選りすぐり珈琲豆の包装袋にも珈琲を飲む鹿が描かれる。

  

なんだか、鹿ばかり見る。あるいは気になってしまい鹿ばかり見つけてしまうのか。

 

 

古来から鹿は神に近いものと捉えられることもあり、みさき、つかわしめとされた。春日大社鹿島神宮厳島神社の神獣、使徒とされている。神鹿。アクアイグニスの風呂前の暖簾に描かれた鹿が脳裡に浮かぶ

 

 

hannarimango.hatenablog.com

 

 

もう少し神秘性を備えた鹿を象った鹿鉢を作りたい。

 

首はもっともっと長くても良い。

しかし頭は小さくないとダメだと思う。

アンバランスなくらい小さく。

自然と植物の形の妙が感じられる多肉植物を角のように生やしたい。

勝手にあれこれ込めて、暗示させたい。

眼に生気を宿したい。眼だけ黒釉薬を掛けようか。

 

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奈良神鹿仏舎利逗子の神鹿

 

 

植物の多様性と豊かさを象徴するものとして、鹿角をヨリシロにしたい。

 

また座位の鹿鉢を作ろう。自分の頭の中で描くイメージに近づけていこう。いざ手が動き始めたら1、2時間で済むのだから。

 

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運慶作の1つがいの鹿。こちらも首が長くデフォルメされている。

 

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背中からそのまま植物を生やすのもそのまま鉢そのもの。こんな一体も作ってみようか。

 

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目指せ、鹿鉢尽くし。

 

遅々たる作陶 鹿鉢、団子虫鉢、地蔵草

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座り偶蹄類の多肉鉢は陶芸仲間と先生に意見を伺ったところ、デフォルメしていると思えばおかしくはないとのこと。先生曰く、デフォルメと捉えるならば胴の細さ貧弱さが気になるとのこと。鋭い。頭の小さい鹿が造りたかったが、これはもう良しとしよう。信楽白土を塗って、今回は乾燥させたら素焼きをせずに一発本焼きで焼き締めてみようかと思う。

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鹿「頭が大きいのは作り手の脳みそが小さいからでは?」

アルパカ「完成する前から気に食わんってふざけるな。こっちの身にもなってみろ」

ああ、最近は公私ともに嫌なことが多くて幻聴が聞こえる。

 

 

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しばらく放置されていた地蔵草のようなやつをようやく、焼く気になった。焼き締めにするつもりだったが、1号透明釉を薄くスポンジで付けて焦げムラを付けて表情を出そうと思う。下に高台を付けようかどうか、しばらく悩んでいたが、無しで焼く。愛犬マンゴー殿が遺骨になったらここに入ってもらおうか。
 
なんだかどれも試作品ばかりなのかもしれない。失敗や学びを次に活かすには、次をそもそも作らないと。
 
座り偶蹄類の多肉鉢は座った状態の脚の形は悪くない。胴体と頭のバランスを次回は頭を誇張して小さくしたい。地蔵草のようなやつは、次回はもう少し縦長に細くしたい。
 
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過去の学びが活かされているのは団子虫鉢か。今までに比べて遥かに早く造れたように思う。腹を天に向けているほうが、多肉植物は植えやすいはずだ。

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壊れてしまった蓋付き高台鉢は土台に板円をもう一枚下に敷いて、粉末の陶器用の接着剤を水で溶いて継いだ。さらに1号透明釉薬を割れた破片の上から掛け直したので、運が良ければ、釉薬が補強剤と接着剤の役割を果たしてくれて、実用に耐える形で再生されるかもしれない。無事を祈る。
 
あと、釉掛け待ちの作品が5つほど。いつになることやら。

マンゴー殿、秋の装い

 

 

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玄関先の実生から育てているモミジが赤く色づいた。湯河原の万葉公園のモミジよりも綺麗なのではないか。あちらはオオモミジ系でイロハモミジは少なかった。南禅寺、山科疏水、大徳寺醍醐寺銀閣寺。種を採取してきたこれら寺々ではこんなイロハモミジが一面を覆い尽くしていたのだから、やはり京都の紅葉は格別だと改めて思う。

 

例年よりもモミジの紅が美しく思う。気休めではあるが睡蓮鉢を樹下にあてがって湿度を補っていること、そして何より急な気温低下が理由と思われる。

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ボサボサな毛の塊と化したマンゴー殿。これ以上、毛が伸びると嗅覚だけで生きねばならなくなるので散髪に行ってもらった。

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劇的ビフォーアフター。今回もテディベアにされないよう腐心したのだが、今回は少し頬の毛が短すぎやしないか。なかなか◯◯カットというように様式化したカットではないので仕上がりが安定しない。

 

ま、それでもかわいい。

 

湯河原温泉 エクシブ湯河原離宮。外国人へのおもてなし温泉について思う。

紅葉の季節、新しくできたという会員制ホテルのエクシブ湯河原離宮へ。

 

エクシブ箱根離宮と比べると

  • 湯船に眺望、非日常感が乏しい
  • 東京から箱根よりも遠い
  • 箱根よりも周辺に観光地が乏しい
  • 箱根離宮同様、食事は美味しい
  • しかしそれ以上に車で5分先の「魚繁」が安くて絶品
  • 法人会員が泊まる部屋は風呂までの廊下がひたすら長い
  • ロビーなどに寛げるソファが少ない
  • 調度品に伝統や土地柄を感じない

 

エクシブ湯河原離宮に再訪するとしたら、魚繁に行きたくなった時かもしれない。

 

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向かう道すがら、箱根ターンパイクの大観山スカイラウンジから富士山を望む。肉眼で見ると大迫力の美しさも写真になるとそれなりなサイズ感で鎮座するだけ。ナショナルジオグラフィックの写真は素晴らしいものばかりだが、肉眼で観たら迫力も臨場感も素晴らしいのだろうな。

 

ひんやり冷たい空気に晴れた富士山は清々しい。

 

湯河原パークウェイからクネクネとした山道を下ってようやく湯河原離宮に着く。全体の印象は金と黒を基調にしたホテルに見られる高級感。直線的で、硬くて、光っていて、新築の瞬間が一番価値を持つ素材感。

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残念ながら土地形状があまりよろしくないらしく、割り当てられた3番棟は廊下を数百メートルも歩かなければならない不便さ。窓のない薄暗くムード作りされた廊下を延々と歩くのは気が滅入る。

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部屋の調度品は品が良く、アクもなく清潔感がある。しかしエクシブ箱根離宮よりも狭いし眺めも悪い。

 

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とても綺麗なんだけど、アマンや星野リゾートのようにその土地柄の文化を反映するなど思想性は感じられず、なんだか湾岸の高級タワーマンション然としている豪華さなんだよな。

 

肝心の風呂も、檜の風呂、岩風呂、壺湯、月見風呂と露天風呂も充実しているのだが、いかんせん眺望がない。視線の先は奥行きのない植栽とプラスチックの竹塀風な壁。比較対象がなければ、これでもそれなりに満足できるのかもしれないが、エクシブ箱根離宮と比べてしまうと湯河原離宮にリピートする理由に乏しい。

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エクシブ箱根離宮の三日月の湯は谷を隔てて反対側の山を丸ごと正面にかつ広角に見据える、なんとも開放感に溢れる風呂。広大さがこの箱根離宮のwebから拝借した写真では伝わらなくてもどかしい。実は湯船の先には風が止むと水面が鏡のようになる池が続いていて、月夜や樹木が鏡面反射してまるで異世界への入口のような風情になる。

 

風呂は断然、エクシブ湯河原離宮よりもエクシブ箱根離宮の方が良い。温泉を目当てに行くのならばその判断に迷いようがない。

 

空室待ちをしたが繁忙期ということもあり、1室しか取れなかった。大人5人、幼児2人添い寝で部屋代1万5千円。一人頭2000円強とバックパッカーゲストハウス並みの値段になってしまった。

 

夕食は別料金で予算は1人当たり6000円以上と高いが、室料と食事は別となっている。そのかわり近くに魚屋が兼業している「魚繁」という料理屋があり、そこでの夕食が最高に美味かった。とはいえ、名誉のために付け足すならばエクシブの朝食バイキングは大人2200円と少し割高だけれどもとても美味しく、こちらで頂く夕食も値段に見合う味だと期待される。お忍びでシックに、クラッシーにデート利用するカップルにはエクシブ湯河原離宮は利用価値は高いのかもしれない。幼児連れの私達には箱根離宮のほうがメリットが多いというだけの話だ。

 

 

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ところで、私にとっての理想的な露天風呂は何かを考えてみた。やはり開放感と臨場感に尽きる。雪を被った穂高連峰を望む湯船。見渡す限りの竹林を望む湯船。水平線を広角で望む湯船。川全幅が温泉と化した湯船。雪深い山中の湯船。そういうスケール感で日常の瑣末を置き去りにするのが温泉最大の魅力、魔力ではないか。

 

無論、だだっ広い露天風呂だけが素晴らしい訳じゃない。法師温泉のように総木造の湯屋で玉砂利の風呂底から直接湧き出る温泉。あんな臨場感もドラマチックで素敵だ。狭くとも使い込まれた町営の温泉銭湯なんかも良い。

 

こういうのが、外国人にも喜ばれる思い出に残る温泉だと思っている。