1万人の踊りを観に100万人が訪れる高円寺阿波踊りが始まった

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始まりましたよ、高円寺阿波踊り。徳島の阿波踊りが台風のせいで全日程中止になってしまった鬱憤を徳島からの招待連には是非とも晴らしてもらいたい。

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イカしたモヒカン。気合の入った髪型といえば天水連だが見損ねた。残念。

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踊り子達の笑顔が素晴らしい。

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美しい一矢乱れぬフォーメーション。実力連は細部まで美しい。

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指先までの表情が惚れ惚れする。

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Microsoft連なんてのもいた。しかも社員の宴会芸という水準ではなく、披露するのに恥じることないよう練習を積んできたことが伺える。

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常連の好きな連のひとつ。

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どこぞの踊り子さん。すらりとした手足に緩急のついた舞に目が釘付け。色香がする。

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跳ぶなあ。際立った跳躍だった。空中半回ひねり。

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おっちゃん達も溌剌としていて愉しい。


阿波踊りは観るだけよりも躍るほうが愉しいように思う。来年には子供をデビューさせられるだろうか。

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昨年よりも天気に恵まれたこともあって人で賑わっていたように思う。

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明日の日曜日はさらに混みそうだ。阿波踊りが終わると夏が終わる。



フェロカクタスの亡骸をオブジェにしたらかっこいいかも

子供が小さいこともあって、刺モノは育てないことにしていた。

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唯一の例外がこのフェロカクタスで品種名は覚えていない。長刺日の出丸だったか、刈穂玉だったか。子供が生まれる前に手に入れていたのだと思う。

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室内に置くと赤子が怪我するかもしれないので、長いことベランダの釣竿に鉢ごと吊り下げて野晒し、雨曝しにしていたにも関わらず、逞しく育っていた。横殴りの雨以外は水が掛からない場所だったから致命的な問題はなかったのだろう。

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サボテンの根は大抵、その地表部の立派さに比べると貧弱なものだが、これは見てわかる通り、しっかりと張っていた。

今の家に移り住んでからはもう少し雨風の入るベランダに置いていた。3年間は問題はなかったのだが、6月のとある日に強風で鉢が倒れ、中の土が溢れ出して株元や根が晒された状態で雨に降られたらしい。


気づくのが遅れてしまった。気づいてからほんの数日で一気に枯れてしまった。腐ったというほどにぶよぶよとしたり悪臭がしたわけではなく、それこそあっという間に黒く枯れて縮んだ。


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枯れた亡骸は捨てるのがしのびなくて、こうして根っこごと針金で宙に浮かべて飾っている。枯れてもなお、かっこいいサボテン。管理不足で駄目にしてしまったのは悲しいが、暗い室内に飾れるサボテンだと前向きに捉えられる。


刺の部分だけを金や銀に塗ったらどうかと思案中。





作陶 透光性磁土の鋳込み、瓦礫鉢の釉掛け

写真を撮り忘れたが、1年ぶりに轆轤で水挽きした。感覚が失われていて菊練りも轆轤もうまくできなかった。とりあえず、何段にも釣り重ねられる鉢を4つほど作った。なんとなく誤魔化したものは後で大きく歪む気がする。

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上腕骨肉解剖鉢は無事に乾いたようだ。乾燥した段階で10%ほど縮んだ。その際に骨の接合部が剥離したり、白土と赤土の収縮率の違いから腱が切れたりする恐れがあったが無事に乗り切った。次は素焼きだ。窯入れが難所。

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多肉植物用の鉢はシンプルにマグネシヤマットを掛けることにした。

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どぶ漬けした後に凸凹した面だけの釉薬を剥がす。望ましくは焦げてほしい。薄く掛かっているせいで半端に褐色に発色するのが困る。


背の高いやつには根が太く長く伸びるユリ科ハオルチアの何かを植えたい。「氷砂糖」を株分けするか。


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透光性磁土で鋳込みした。どうしても陶土と物性が違くて泥漿の流動性を保てないせいで厚みが過剰になってしまっている。慎重に薄く削らないと光は透過してくれないだろう。


次回は水分を増やして短時間で中の泥漿を排出してみよう。


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計量して鉢をいくつか持ち帰った。こうしてみると団子虫鉢の巨大さがわかる。





多肉植物の成長 「希望丸」「蘇鉄麒麟」「姫将軍」「宇宙の木」

多肉植物愛好家のブログを眺めていて好きなものは成長の軌跡の記録。何年間でどれだけどのように育つのか。成長の遅い植物だけに眼を見張る違いがあると楽しい。


いや、これは成長というより徒長だろう、というツッコミも含めて楽しむべき。


私もせっかくなのでいくつかの株の古い写真を掘り出して比べてみた。

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2013年8月の「希望丸」。柱というよりもまだドーム状と言える。

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2019年6月。6年弱の歳月でこれだけ伸びた。帯のように白い部分は、その成育期に日光を十分に浴びて白い棘を密に形成したから。そういう意味では、少し徒長気味だとも言える。息子の処女作の植木鉢で今後数年は育てて行きたいので早く大きくさせたいわけではない。日光にしっかり当てて、辛めに育てて行きたい。


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2012年9月の「蘇鉄麒麟

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2019年4月。まだ冬眠明けで葉が動き出していない。昔は肌が緑だったのだが、現在は全て褐色。成長期になれば緑になるのだろうか。6年半で3倍の背丈になった。


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2012年9月のゴーラム、宇宙の木。

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2019年8月の「ゴーラム、宇宙の木」。ホームセンターで買った298円苗も7年の月日は立派な株へと変えてくれる。

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木質化って何かと聞かれたら見せたくなるような枝ぶり。


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2016年10月の「姫将軍」。

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2019年8月。およそ3年で3倍近く伸びた。成長が早いが陽に向かって曲がりやすくもある。

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突き出た短い腕に肥満気味の指のよう。薄紅色に発色して綺麗だ。油断せずに寒くなったら取り込まないといけない類だと思う。


秋の成長期の始まりはどのように判断したら良いかが未だにわからない。

「多肉の森」制作依頼。主役は碧瑠璃蘭鳳玉。

今夏、思い立ったこと。それは画家の知人に絵を描いてもらうこと。

 

京都にいる頃に親しくしていた仏画師の友人から、高円寺に在住の現代画家の知人を紹介してもらった。京都と高円寺、二つの街での縁だ。彼女の作風はどちらかというと女性的で幻想的な絵柄の画家で私には似つかわしくないのではないかという少し恥じらいというか敷居の高さを感じてしまうのだが、お願いすることにした。時にグロテスク、ときに不安定さが表現されていて綺麗すぎない深みがあると思っている。

 

大事なものの「今」を形に留めたい。テーマは「多肉の森の中の子供二人と犬一匹」。私の好きな趣味の一つである陶器は形を変えないが、子供達は日々成長し、多肉植物とて緩やかに形を変えていく。2019年の姿を切り取ってもらいたい。

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多肉の森の主役はやはり、この古木だろうな。碧瑠璃蘭鳳玉の巨柱。おそらくは50歳はいっていると思われる。多湿な関東で年に数十ミリという緩やかさで伸びている。

 

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木質化して灰色に硬化した株元とマダラになった中間部の表情が素晴らしい。

 

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真上から見ると端正な7陵。今年になって成長点に変化が見られた。子が二つほど吹いている。ここから二本に分岐しようというのか。これだけの巨樹になると花を咲かすだけでは足らず、子を吹いて子孫を残そうとし始めているのかもしれない。

 

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陵の数が元々は4つだったのが多い時には最大9つになり、ここ20年近くは7つで育っていた。子が頂点に出来始めたので今後どのように育っていくのか皆目見当がつかない。

 

碧瑠璃蘭鳳玉を主役に茂る多肉植物の深い森に佇む二人の男の子とそれに寄り添う犬一匹。私の好きな要素で構成された我が家の絵だ。寝室の壁にどんと飾りたい。15号サイズで依頼した。

 

絵だけで生計を立てている専業画家に制作を依頼するのだからけして安くはない。それでも1年後には覚えてもいないような職場の飲み会を重ねていくよりも、それらを減らす代わりに絵を描いて残してもらう方に価値を感じる。

 

作品の仕上がりが楽しみだ。

私達は親が同年代の頃と写真記録から細部まで比較できる最初の世代かもしれない

実家の書庫から昔の写真アルバムを引っ張り出してきた。そこには子供達と同じ年齢の私の写真があり、私と同じ年齢だった親の写真がある。


あの頃の父は何に情熱を傾けていたのだろう。母がいまだに繰り返す若い頃の父への愚痴はこの頃の話だろうか。

懐かしく温かい気持ちになるというよりは、寂寥感に襲われた。

私達は親が自分と同じぐらいの年頃の写真記録が豊富に残っている初めての世代と言えるのではないか。私の両親は、私の祖父母が30代や40代の頃の写真を殆ど見たことがない。せいぜい、親族が澄ました顔で一堂に会して撮られた記念写真や写真館で撮られた家族写真程度だ。残された写真の数も少ない。
散らかった家の中での何気ない一景や、運動会の写真、海水浴場での写真、子供達が寝ている写真。日常を窺える写真は見たことがない。しかし私は両親のおかげもあって30年前の日常写真をあれこれ見ることができる。

これは改めて考えるとすごいことなのかもしれない。昔は親戚の集まりで、年寄りから「あんたの父ちゃんはあんたの歳の頃にはああだった、こうだった」と聞くことはあっても、どれだけ記憶に補正や誇張が入っているかはわからない。面白おかしく盛る傾向もある。それも日常写真を見れば両親が同年代だった頃の風貌や生活水準など、あれこれがありのままに見えてくる。

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そう、私達は一世代前とこれまで以上に比較が可能になった世代なのかもしれない。
同じ歳で比べると親父の方が腹が出てるな、とか若々しいな、とか、視覚的な比較も面白い。


私達は総体としては親よりも裕福になれない世代とも言われる。親が自分の歳の頃にはすでに子供は何人いて、こんな家を買って、仕事は何をして、こんな生活をしていたと30年をまたいで比較ができてしまう。改めて親への尊敬の念を深くする人もいれば、えらそうに言ってるくせに親父も大したことなかったのではないかと思う人もいるかもしれない。


  • 親になって仕事と子育ての両立の大変さを知り、あちこち旅行に連れて行ってくれた親への感謝の念を強くする。
  • 鬼籍に入った親族の多さに気づく。あの伯母はその後どうなった、あの叔父はどうなったとその後が私にはわかっている。自分の身に起きていくことを知らない無垢な笑顔。
  • 群がるような従兄弟の数。私の子供には従兄弟がいないことにも気付いた。危機感を覚えるほど新しく産まれる子供達は減っている。
  • 旅先の澄ました集合記念撮影はつまらない。旅先で何かをしている写真は面白い。
  • 全身を写した状況説明写真ばかりで表情が鮮明にわかる顔のアップが少ない。



私が家族の写真記録を残す上で欠けがちだと思う要素

  • どんなものが市井で流行しているか。
  • その頃の子供達がどんな遊びに夢中になっているか。
  • 親が何をしているか。何に楽しみを見出しているか。
  • どんなものを食べているか。
  • お気に入りの玩具や家電、家具。
  • 旅先の写真よりも日常の室内での写真。
  • 街並みの写真。

残すべくは特別な日ではなく平凡な日常の写真なのだ。

とある平凡な週末の朝から晩までを写真に撮るのも面白いかもしれない。子供達の寝床の写真から始まり、顔を洗う姿、朝食を用意する姿、宿題をやる姿、犬を散歩に連れて行く姿、近所のスーパーに買い物に行く姿、庭で水遊びをする姿、母親に怒られている姿、兄弟喧嘩している姿。飾ることのない家族ルポ。

令和元年の終戦記念日という節目に鎮守氷川神社詣でと横尾忠則御朱印帳

埼玉にある鎮守氷川神社はここ5年ほどで人気の高まりを見せる御朱印収集家の間では人気の神社なのだそうだ。

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その理由が世界的グラフィックデザイナー、横尾忠則氏によるデザインの御朱印帳。毎月15日に100冊しか頒布されない限定御朱印帳ということで人気が集まっているのだそうだ。

 

 

そもそもデザインが魅力的だからといって比較的小さな地方の氷川神社で毎月100冊も御朱印帳は売れるものなのだろうか。それとも100冊が希少に思えて人気が沸騰しているのか。もし十分に在庫があるならば、逆に言えば希少性を失ったならば毎月100冊、年間1200冊も売れるものなのだろうか。意地悪なことを言うようだが、並んでいる人の顔触れを見るに横尾忠則ファンがそんなに多いように感じなかった。「あなたはいつでも買えるとしても、横尾忠則御朱印帳が本当に欲しいですか」

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まあ、理由はなんであれ、横尾忠則御朱印帳を求めて早朝から大勢の人が集まる。告知上は整理券配布は8:30から、頒布開始は9:00からと書かれている。

 

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5時に起床。実際は私が到着した6:40の時点で100人中89人が既に列をなし、冷汗をかいた。ありがたいことに到着し次第にすぐ整理券をくれた。7:00を前にして100人まで到達し、御朱印帳も7:00から頒布を開始してくれた。炎天下に2時間も待たされなくて実に有難い。

 

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樹齢400年の欅の御神木。

 

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境内には神饌田があり、稲穂が豊かに実っている。

 

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稲穂の守護、稲荷神社。

 

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そしてこれが令和元年の終戦記念日に頒布された横尾忠則デザイン御朱印帳。別に私に右寄りの国粋主義的な思想や嗜好は無いが、今のご時世、この日章旗的デザインは物議を醸しそうだと思う。改めて思うが、若い女性達が好むデザインとは思い難いのだよな。

 

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達筆。

 

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「戦後文化の奇跡1945-1995」を彷彿とさせる色遣いと意匠。生まれ育った西脇からB29の空爆に赤く染まる神戸を眺めた横尾少年。その作品は私にとって「消化不良」。理解できない。好きとも思えない。解釈不能な異物として際立っている印象。

 

意匠や建築として寺社仏閣に惹かれながら、今も宗教的価値観を理解できずにいる神道と仏教。そんな御朱印をあちこち訪れた寺社仏閣で収める器として横尾忠則御朱印帳はうってつけではないだろうか。

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もしやと思ってメルカリで「横尾忠則 御朱印帳」と検索するとずらずらと出てきた。3,000円のものが高いものでは13,000円、大体6,000〜7,000円で売られている。令和元年八月十五日の御朱印帳は既に4件が8,999〜11,000円で売りに出され、1件が既に売れている。私が早朝に空間を共にしたあの人の中に転売目的で購入した輩が複数名いたということになる。

 

10倍に発注していつでも誰でも買えるようにすれば、こんな値段は付かなくなるに違いない。本当に横尾忠則デザインの御朱印帳が欲しい人は毎月100人のなかにどれだけいるのか。この御朱印帳を御朱印で埋め尽くし終わる人は何人いるのか。バブル心理ですな。

 

虚構的価値に踊らされて振り回されて、大勢の命を散らす羽目になった先の戦争の本質を皮肉っているようで面白い。