中国大学内情

友人が働いている大学の職員はおよそ5000人ほど。教鞭をとる教授、准教授、講師などは2000人、残り3000人は事務員。そんなに大勢の事務員が何故要るのかと問うと、答えは「要らないけど居る」のだそうだ。事務員が管理するのは専ら人。実質的には8割方はいなくても困らない人達だという。博士号を取得し、20代前半から教鞭をとり、外国で十年以上の経験を積み、ドイツにも留学し、今も週末を研究に充てる彼女に対し、修士卒で年が若く勤続たった4年の事務員の知人は調整や政治に長けており、教鞭をとる友人と同額程度の給与を受け取っているのだという。


専門性を持って生徒の指導に当たる先生よりも事務員の方が一般的に地位は高いのが中国の大学の実情。また、事務員は勤続年数を重ねようとも実質的な実務能力が身について無いことを自覚しており、常に地位や身分の安定性への不安を感じている。野に放り出されたら職を得られず生活していけないことを誰よりも自覚しているので自らの安定を図るべく教授らが事務員よりも発言権や地位を上回ることのないようあれこれと工夫を凝らすのだという。

(こういう現地人が食べに来る屋台は美味しい)


かつては優秀で大学でも見識を深めた彼らが何故鬱屈した役人や事務員になるのか疑問に思ったが、やはり手にできる収入が大きいというのは抗い難い魅力だという。長期的な展望や自分の価値観に向き合うよりも目の前の実利を取るのが大多数の中国人だと。

(かあちゃんが娘に作り方を伝授しているのかね。見守る目が鋭い)


より広範囲に視点を話を広げてみる。上海の1/3は民工と呼ばれる農村から都市に流入した人達で、並んだ粗末なベッドに集団で寝泊まりし、街中の屋台などで商って月給700元ほどを稼ぐ。制度上、実質的には彼らは人間として扱われていないという。農村では余剰分を売ろうにも自由市場などなく勝手に物を売買など出来ない。政府によって決められた非常に安い価格で穀物等を売っても数十元程度の現金収入にしかならないという。だから戸籍がなく社会保障を何も受けられなくとも農村から都会に出てくるという。農村に留まっても農民には年金制度も実質的には無いのが現状。


ただ貧しく、食べて生を繋いでいくだけの農村の人達は親族の中に優秀な子供がいるとなけなしの金を集めて投資し、大学まで進学させる。そうした期待を背負った子は幾人もの重い期待を背負って大学で勉強し、社会に出ていく。彼らは農村で自分に投資してくれた人達に早くお金を返済しないといけないという意識から、上昇志向が強烈だという。


出世し、より高い収入を得ていくためには何が一番合理的か。地道に能力を磨いて努力していくよりも、処世術や政治に労力を費やしたほうが早いのが中国。周囲を見て簡単に彼らは悟る。そうした彼らが役所や大学の事務員、共産党員などを志向していくという。人並みの扱いを受けない貧しい農村の生活を知るからこそ、そんな生活へ戻ることを強く恐れる。その一方、物価の高い上海のような都会にあっては他者と比較して自らの経済力や出自への劣等感に苛まれる。人一倍都会での生活や高収入への憧れが強いのでより深い贈賄に手を染めるのも彼らだという。こうして被差別側がいつのまにか不条理と格差社会を強化する側に回る負の循環が繰り返されるとのこと。

( 「ここは私の場所よ。」
 「そしたら私の場所がないじゃない」
 そんな会話があったのかは知らないが通路が詰まった)


大学で直面した損得を基準にした人間関係と贈賄、不条理。そこからさらに社会に目を向けて随分と悩み、心を痛め、中国に帰国して数年はしんどかったと吐露してくれた。昔は美術だけに没頭していたが日本やドイツでの滞在経験を経て、社会に自然と意識は向かうようになったそうだ。美術やデザインの本だけでなく蓄積してきた社会分析比較等をまとめた本を書きたいと最近思っているそうだ。いつの間にか白髪が随分増えてしまったと。いつの間に真剣になって、時折涙目で。そんなことに興味を持ってなさそうに軽やかに生きてる人だと思っていたのだけれども、とても真剣に向き合っていて、今まで見せなかった一面を知って惚れそうでした。

(上海蟹、一杯五元。食べればよかったが食後で満腹。写真は文と無関係)