大学関係者の愚痴徒然

神楽坂で大学の友人と飲む。

 

となりには某大学の白髪混じりの教授陣と思しきグループが盛り上がっている。「近頃の若いもんは」「うちらが若い頃は」定番のありきたりな定型句が繰り返される。

結論は「若い人はもっと苦労した方が良い」ということのようだ。彼らは若い人たちよりも苦労したと思っているらしく、同じぐらい苦労すべきらしい。

 

その根拠はどこからくるのだろう。無駄な不要な苦労を避け、導くという意識はないのだろうか。どうせ遅かれ早かれ苦労はするのだから不毛な苦労よりも質の高い苦労に向き合えるように導く意識はないのか。

 

東大、東大と繰り返される。東大の人は理◯大の人のことをそんなに話さないだろうな、などと思う。左派、左側、リベラルだとか保守主義だとかそんな営利企業で聞かない単語を繰り返し聞く。どこどこ大学の彼は赤い、彼は左などと上から断じ、彼は精神的に弱い、批判ばかりと批判する。不満が溜まっているのだろうな。家では聞いてもらえないのだろうな。

 

 

 

理不尽は溢れている。特権や利権。理屈で説明つかないような厚遇、高級を食む人たちが世の中にはいる。大事な仕事で世の中に貢献しながら経済的に報われない人たちもいる。自分が全ての人は救えないし救う義理もない。甘い汁を吸う人を罰する義務もないし罰することもそう簡単にはできない。

 

ずるいだの、社会的不正義だの叫んでもそんなことが無かった時代は皆無なはずだ。自分が影響を与えられる目の前のことに集中した方が良いのだろうな。

 

組織での人の評価なんていい加減なものだ。人のことにはさほど興味がない。自分の評価のために人の評価をする。そもそも私生活でも他の人に対して表面的な噂をする程度の関心しかない。

 

隣の席の大学教授陣の憚らない声高な愚痴を聞かされながらそんなことを思った。

 

f:id:mangokyoto:20230215233633j:image