ルーマニア新婚夫婦を見送って思い出したこと

ルーマニア。思い入れのある、お世話になった国だけれども。

 

友人の話を聞いていて、面白くもないこともたくさん思い出した。

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当時のルーマニアは平均月収が50ユーロ程度だった。ギリギリで生きている人も、時代の変化についていけない人も、先行き不安に駆られている人も入り混じった世間だった。

 

面白くもない鬱憤のたまった輩が、なんとなく目に付く人にイチャモンを付けてくる。マヌケヅラの苦労していなさそうな日本人の男なんてのもそうだし、ルーマニアで黒人男が1人、なんてまさに八つ当たりのターゲットになる。実際に嫌な思いも沢山したと思う。私は終わりの日が決まっていてルーマニアを離れることが明らかだったので、往々にして相手にせずに受け流すことができた。時折ぶつけられた敵意や悪意を思い出すと、彼の生きてきた時間と強さに敬意を払いたくなる。

思い通りにならない自らのイライラを関係ない相手にぶつけて嫌な思いをさせる輩というのが国を問わず世代を問わず、世の中には本当に多くいるものだ。残念なことに。

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仲間内ではおちゃらけて、明るい、何も細かいことは気にしないキャラだった。18年ぶりに会って、下らない話も一通り尽きて、段々と本音の話が飛び出すようになると彼の輪郭が見えてくる。そんな鈍感で底抜けに明るい人間なんていないことぐらいは私もわかっている。

 

フランスがワールドカップで優勝するや「彼らはれっきとしたフランス人」だと言い、問題が起きれば「アフリカ移民」と使い分けるフランス白人の浅薄さなんかも鋭敏に嗅ぎ取っている。多くの高学歴なルーマニア人の同級生がルーマニアを捨ててスウェーデンやドイツ、ベルギーやチェコなどで働き成功し裕福な生活を手に入れている中で、彼は複雑な思いを抱きながらルーマニアに残っている。

 

フランス語が母国語で英語もスペイン語ルーマニア語も流暢でそもそも頭の良い彼。ルーマニアを出れば容易にもっと豊かな生活を得られる。そんな彼はルーマニア語以外話さないルーマニア人の女性と結婚した。その覚悟に乾杯したい。

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18年前、自分の気持ちを表現することがろくにできない無愛想でノリの悪い日本人を、付かず離れずの距離で構ってくれた。かなりの額を払って入居したアパートを警察を呼ばれて二日目に追い出されたり、突如国外に一旦退避しないといけないと国を追い出されたり、あれこれ思い通りに行かなくて途方に暮れそうな、腹が立ちそうな時も、サッカーして安酒飲んで忘れようぜ、と声をかけてくれた。

今回の彼ら友人夫婦のハネムーンにあるまじき無計画さや、場当たり的な自由な振る舞いにああ、こんなことだらけの生活だったな、と懐かしくなった。あの頃のもてなしが今の自分の血肉になっていると心底思うし感謝している。

柔軟性と楽観性。この2つを備えている人というのはなかなか日本人にはいないもので、それが為に私の職場は絶えず崩壊と構築を繰り返している。私に人並み以上の柔軟性と楽観性を備えさせてくれたのは、18年前のルーマニアの友人達に他ならない。

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18年前にルーマニアを去る時、ブカレストイスタンブール行きの夜行寝台列車に乗り込んだ。日本に来ることがなかなか想像できない経済状況の中にいる彼らに恩返しができる日が来ますように、と強く願ったのを覚えている。恩ってのは、忘れたらいけないものだと何となく実感している。今の比較的不自由のない境遇を全て自らが勝ち取ったものだと勘違いしてはいけない。面倒くさいからだとか、今の自分の生活には関係ないだとか、世間的にいきなり押しかけてくるのは非常識だろうとか、そういう理由で蔑ろにすると、何か自分の中の柱のようなものが失われて空虚になってしまう気がする。

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何はともあれ、自分のことを思い出してくれたことも、ハネムーンに日本を選んでくれたことも、愉しそうに過ごしていることも嬉しい。苦労があろうことが容易に想像できるルーマニアでの生活だけれども、幸せになって欲しい。

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写真群は御岳山から。最後の写真はコクテイルから。最後は私のお気に入りの場所巡りでもあった。