もう少し暦が進むと雨天だったり暑すぎたりして思うようにジョギングできなくなるので今のうちに走ることにした。向かったのは朝7時の高円寺の古刹、厄除け堀之内妙法寺。
奥の山門を抜けると石灯篭が並び、紫陽花が彩り、何やら静謐で素敵な空気に包まれる。掃き清めるお坊さんを見かけただけでほぼ無人だった。平日早朝の墓地に人はいない。
適度に風化した木彫りの龍も陰影具合が良い。
私が好きな鹿が灯篭に彫られている。 鎌倉明月院まで足を運ばずとも紫陽花の見ごたえのある寺は近所にもあるものだ。
そして目が覚めたのが菖蒲の大群生。
紫陽花の薄紫と菖蒲が連続して溶け合っていて一体がとても優美な光景になっていた。
もう今が盛りという日に偶然にも訪問できたようだ。
近くで見ると色も形も様々な菖蒲が入り乱れている。 菖蒲にはどことなく蝶のような少しばかりグロテスクな昆虫的造形を感じる。
こちらの紫が一番なじみのある菖蒲の姿ではなかろうか。花弁の根元に引いた黄色が紫を引き立てる。これは色相環における補色、つまり互いに引き立て合う色の組み合わせになっていることに気づく。紫外線で蜜蜂に主張する花々と違い、菖蒲は可視光で見ている人間を含む対象に主張しているということか。
白い花弁に紫の筋の入ったもの、紫の縁のもの。品種名があったりするのだろうか。
私が一番好きな菖蒲の色はこちら。藤色、青紫に近い青味の強いもの。花弁も丸く大きく優雅だ。
白というのも清々としてよい。
菖蒲の群生が墓地の前に広がりこの世とあの世の境界を示しているかのよう。
朝陽が正面に見える側に回ると菖蒲の群生が逆光で輝いていた。三途の花の川か、はたまた臨死体験で見る花畑か。
朝陽が雲に入ると妖しく濃い色を見せる。
仰ぎ見ても儚げで美しい。
花は古来から死者に手向けられてきた。奇麗なだけにその覆いつくすような群生を見ると現在進行形の災禍を連想してしまう。
6月3日時点でコロナの感染者数は1億7千万人、死者数は370万人を超えた。統計に拾えていない感染者、死者も多いと聞く。特にインド、ブラジルではまだ収束する兆しは見えない。
寺と墓と花。
思索に耽るには良い場所だ。今こちら側にいる人達も遅かれ早かれあちらに行くことを忘れずに日々を過ごしたい。
こんな紫陽花と菖蒲の絶景が高円寺にあるとは知らなかった。