熱海保養所泊、小田原北条攻めの歴史散策

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息子と先発して熱海へ。熱海駅前からバスでニューアカオホテルへ。ローズガーデンの上に隈研吾設計の海を一望し大きなブランコを漕げる素敵なカフェがあると聞いたのだが、なんと大人4000円の入場料を払ってローズガーデンに入らねばならないのだという。カフェも安くはないのだろう。予算オーバーが過ぎるので諦めて道路沿いのイタリアンレストランで食事したが、こちらでも十二分に眺望は目に眩しくピザ、スパゲッティは美味しかった。
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満腹になって崖沿いの遊歩道を歩く。
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ここら一帯が全てニューアカオホテルが整備したらしい。
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長い48年の歴史を経て一旦廃業、投資ファンドに売却されたが分割を経て2社によって宿泊業とACAO FOREST、BEACHのレジャー業が2023年から再開されている。
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アカオホテルの名物、バブルの象徴遺産がこの海を一望できるダンスホール。水平線が左手にも右手にも見える絶景。
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大層なものを作ったものだ。完成当時は栄華の中にあったのだろうな。
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アカオホテルから来宮神社まで3kmほどの道程を息子と歩いた。トンネルで叫んでみたり、しりとりをしながら。
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そして慣れ親しんだ来宮神社の大楠木を拝む。黒蜜ソフトクリームを押しいただく。
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そして妻と長男と合流。カラオケルームが楽しみで仕方がないらしく、兄弟で2時間歌い倒していた。夫婦でその間、交代で温泉に浸かる。
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今回は花火は見られなかったが相変わらず良い眺め。子供達は流石に新幹線や東海道線の往来を齧り付くように見続ける年頃は過ぎた。
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目の前から昇る朝日も目に眩しい。
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小田原城へ。秀吉が天下統一の総仕上げとして21万人の軍勢で総攻撃を仕掛けた小田原城。北条5代は兄弟力を合わせ、民のことを慮り良政を敷いたらしい。展示を見るとその後にさらに長く続く大久保氏の治世ではなく北条治世への賞賛に溢れる。
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安土桃山時代の100年を強大な勢力と自治を誇った小田原北条家は元々は伊勢から来た伊勢氏だったそうなのだが伊勢という氏はいかにもよそものに聞こえるので鎌倉幕府で聞こえの良い北条家をゆかりもなく名乗り出したらしい。鎌倉北条家の流れを汲むものだと今まで誤認していた。

豊臣秀吉に降伏してからは徳川家の信頼厚い譜代の大久保氏が小田原を任せられたそうだが、幕府に無断で娘を嫁がせたことを理由に改易となっていると説明版に書かれていた。調べると大久保長安が日本全国の金山を統括する裏で不正蓄財したこと、政敵による讒言など諸説はあるらしい。しかし徳川秀忠の側近を務めたような者でも改易取り潰しになったのだからよほどのことだろう。

 

その後も茶の湯の大家が逗留し茶道が盛んになったり、弟子が大勢流れてきて小田原狩野派と呼ばれる流れが生まれたり文化も栄えたらしい。

なかなかに見応えのある展示だった。
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小田原城郭内にある報徳二宮神社に参拝し帰途につく。